仙台で起きた看護助手の筋弛緩剤による殺人の公判が最高裁まで持ち越されているニュースを聞く。思えばこの事件のころ、妻は元気で、居間で二人でニュースを聞いていた。同じような仕事をしているせいか、妙に落ち着かない気がした覚えがある。コーマで有名になった作家、ロビンクックの作品に、god playerというのがあり、医師が助からないと診断した患者に無駄な医療を行うことを是としないで、安楽死をさせていくという話である。
病院は正に生と死のハザマにある。隣で寝ていた人のベッドが翌朝きちんとかたづいている。雰囲気で判る。やりきれない思いがする。
同じような話で、関西、たしか広島で母とこどもを殺した青年が、凝り下のではなく、再生を求めた儀式(魔界転生を見すぎたようです)と最高裁で弁明して、死刑を免れようとしたニュースを思い出す。
この両方に共通するのは、死に対する希薄さと罪の意識のなさだと感じる。もっとも、仙台の場合は無実を訴えているので、罪の意識を問題にしてはいけないかもしれない。
さらに、27年前の事件で、サイパンを米国と思わないで、のこのこ出かけたM氏がいる。米国では第一級殺人に事項はない。殺人に対する考えの違いであろう。
リンカーン暗殺は映画で終わりだけれど、ケネディ暗殺は今後将来明らかな事実が出てくるかもしれない。
先日、陽子線治療の件でテキサスのMDアンダーソンのKOMAKI先生と楽しい昼食を得る機会があった。
彼女は、広島生まれで、身内の人や知人を原爆でなくされた経験がある。そのひとつにsadakoさんの話は有名で、中学の英語の教科書に載っているとのことである。
彼女はsadakoさんと同級生で、競走で競い合ってたそうである。Sadakoさんが突然の白血病で、病に倒れ、治癒を祈願してつくった千羽鶴の話は有名である。
私の母も、広島に挺身隊で派遣され、被爆した。最後は肝臓がんでなくなった。
KOMAKI先生に母の被爆の話をすると、即何のがんでなくなられたのですかと問われた。
被爆者の殆どの最後はxxがんであるそうだ。ひとしきり、広島と原爆の話をお伺い、本題である陽子線治療の米国の事情をお伺いした。
日本で乳がんと小児がんに特化した陽子線治療センターの設立を検討しているとお話したら、非常に感動され、快く協力を承諾いただいた。心強い仲間が増えた。原爆という非人道的な死に直面し、同じ原理に基づいた治療システムで人の命を守ろうとする。
大きな戦いである。過去への贖罪でもある。私にとっては、母の墓前にささげたい気持ちである。
KOMAKI先生との食事の1時間、そこに人間がいて、生と死が濃厚に詰まっていた。
ここ最近のニュースにある生と死の希薄さが妙に苦い。
戦後10数年たち、岡山で広島から非難してきた中学生が白血病でなくなった。その子の日記に、私が死んだら、戦争がひとつ終わると書かれていたそうである。
戦後70年近くたつと、死がまったく違った形で訪れて、記憶のかなたへ消えていく。
今最高裁で争っている諸兄に、生と死の重さをもっと真摯に受け止めてもらえばと願う。
浦安の病院で、2度の脳出血というダメージから生き返って、がんばろうとする妻がいる。
生はそれほど本人にとって、周りにとって大事なことだから。
今日の話は重すぎる。
でもニュースが軽すぎるから、、、これぐらいでいいのかも。
病院は正に生と死のハザマにある。隣で寝ていた人のベッドが翌朝きちんとかたづいている。雰囲気で判る。やりきれない思いがする。
同じような話で、関西、たしか広島で母とこどもを殺した青年が、凝り下のではなく、再生を求めた儀式(魔界転生を見すぎたようです)と最高裁で弁明して、死刑を免れようとしたニュースを思い出す。
この両方に共通するのは、死に対する希薄さと罪の意識のなさだと感じる。もっとも、仙台の場合は無実を訴えているので、罪の意識を問題にしてはいけないかもしれない。
さらに、27年前の事件で、サイパンを米国と思わないで、のこのこ出かけたM氏がいる。米国では第一級殺人に事項はない。殺人に対する考えの違いであろう。
リンカーン暗殺は映画で終わりだけれど、ケネディ暗殺は今後将来明らかな事実が出てくるかもしれない。
先日、陽子線治療の件でテキサスのMDアンダーソンのKOMAKI先生と楽しい昼食を得る機会があった。
彼女は、広島生まれで、身内の人や知人を原爆でなくされた経験がある。そのひとつにsadakoさんの話は有名で、中学の英語の教科書に載っているとのことである。
彼女はsadakoさんと同級生で、競走で競い合ってたそうである。Sadakoさんが突然の白血病で、病に倒れ、治癒を祈願してつくった千羽鶴の話は有名である。
私の母も、広島に挺身隊で派遣され、被爆した。最後は肝臓がんでなくなった。
KOMAKI先生に母の被爆の話をすると、即何のがんでなくなられたのですかと問われた。
被爆者の殆どの最後はxxがんであるそうだ。ひとしきり、広島と原爆の話をお伺い、本題である陽子線治療の米国の事情をお伺いした。
日本で乳がんと小児がんに特化した陽子線治療センターの設立を検討しているとお話したら、非常に感動され、快く協力を承諾いただいた。心強い仲間が増えた。原爆という非人道的な死に直面し、同じ原理に基づいた治療システムで人の命を守ろうとする。
大きな戦いである。過去への贖罪でもある。私にとっては、母の墓前にささげたい気持ちである。
KOMAKI先生との食事の1時間、そこに人間がいて、生と死が濃厚に詰まっていた。
ここ最近のニュースにある生と死の希薄さが妙に苦い。
戦後10数年たち、岡山で広島から非難してきた中学生が白血病でなくなった。その子の日記に、私が死んだら、戦争がひとつ終わると書かれていたそうである。
戦後70年近くたつと、死がまったく違った形で訪れて、記憶のかなたへ消えていく。
今最高裁で争っている諸兄に、生と死の重さをもっと真摯に受け止めてもらえばと願う。
浦安の病院で、2度の脳出血というダメージから生き返って、がんばろうとする妻がいる。
生はそれほど本人にとって、周りにとって大事なことだから。
今日の話は重すぎる。
でもニュースが軽すぎるから、、、これぐらいでいいのかも。