本日、妻が在宅へ復帰するためのことをニチイと在宅看護の人たちに相談。結論として、在宅に戻すことにした。勿論決まっていたことだけれど。再確認に意味。
問題はたくさんあるけれど、一番問題なのは家族、この場合私のこと。主体者は私なのであるとのこと。私が主体で、足りない部分を介護保険がカバーするとのこと。
了解。
でも本当にそうなのだろうか。
本来の在宅介護が家族の負担に頼った制度なのだろうか。
一方、今の妻にとって他人の世話になるより、私の世話になりたいという気持ちは十分理解しています。理解しながら、十分出来ないのは何故。
一番の問題は私が現役で仕事をしていて、妻との時間に制限があること。
いえいえ、違います。
問題は、私の中で、妻にこうしてあげたいという気持ちと実際に出来ていることのギャップ。
介護の人の前で、反省という言葉を使うと、いえいえ学んだということ。
言葉のあそびであるという感はあるけれど、どちらでもいい。いずれにしろ、今回妻が再入院したことで、多くのことを学んだ気がします。
滋子さん、帰ってきてください。
もう一度チャレンジ。
あなたは不死鳥なのだから。
家に戻り、また元気になってください。
でももう一度、介護は家族の負担に頼った制度なのだろうか。
もう十分心に大きな負担がありますよ。それを軽くする制度では。家族にそれぞれ顔があり、それぞれの課題と負担がある。介護制度はいったいどのように個人の生活にかかわってくるのだろう。
足りないところを支援しますよ、それって欺瞞以外のなにものでもない。お店で、ありがとうございます。またのお越しを。といわれて病院から追い出されているのと同じ。
中国の友人が私の事情を聞いて、まず聞くのは。あなたの息子は、娘は何をしているのと聞く。私は彼らには彼らの生活があり、彼らに負担を掛けられないと答えると、友人は、息子や娘が親の面倒を見るのは当たり前。日本は不思議ねという。勿論、彼らに頼むことは出来るのかも知れない。事実日本で、在宅介護を家族が行っているケースは多い。
でも、在宅で介護をする負担は非常に大きい。そのために、子供たちの生活に負担を買えることは出来ない。これが私や滋子さんの偽らない気持ち。
家庭崩壊とか言うけれど、そうではなく、個人個人が生きていくのが精一杯の世の中。
子供たちには幸せになってほしい。これが親の気持ち。
在宅介護は、家族の負担の上に成り立つものでしょうか。
そんな制度ではないはずでは。
今、刈羽で新しい形の老人の村づくりを模索している。その中には介護の問題が避けて通れない。私の頭に家族の負担なんてひとかけらもない。夫婦が寄り添って、楽しく人生をまっとうできる制度つくりを目指している。
でも、どうしたらよいのか。答えは見つかるのだろうか。滋子さんとの生活の中から、その答えが生まれれば、うれしい。
本当にうれしい。
問題はたくさんあるけれど、一番問題なのは家族、この場合私のこと。主体者は私なのであるとのこと。私が主体で、足りない部分を介護保険がカバーするとのこと。
了解。
でも本当にそうなのだろうか。
本来の在宅介護が家族の負担に頼った制度なのだろうか。
一方、今の妻にとって他人の世話になるより、私の世話になりたいという気持ちは十分理解しています。理解しながら、十分出来ないのは何故。
一番の問題は私が現役で仕事をしていて、妻との時間に制限があること。
いえいえ、違います。
問題は、私の中で、妻にこうしてあげたいという気持ちと実際に出来ていることのギャップ。
介護の人の前で、反省という言葉を使うと、いえいえ学んだということ。
言葉のあそびであるという感はあるけれど、どちらでもいい。いずれにしろ、今回妻が再入院したことで、多くのことを学んだ気がします。
滋子さん、帰ってきてください。
もう一度チャレンジ。
あなたは不死鳥なのだから。
家に戻り、また元気になってください。
でももう一度、介護は家族の負担に頼った制度なのだろうか。
もう十分心に大きな負担がありますよ。それを軽くする制度では。家族にそれぞれ顔があり、それぞれの課題と負担がある。介護制度はいったいどのように個人の生活にかかわってくるのだろう。
足りないところを支援しますよ、それって欺瞞以外のなにものでもない。お店で、ありがとうございます。またのお越しを。といわれて病院から追い出されているのと同じ。
中国の友人が私の事情を聞いて、まず聞くのは。あなたの息子は、娘は何をしているのと聞く。私は彼らには彼らの生活があり、彼らに負担を掛けられないと答えると、友人は、息子や娘が親の面倒を見るのは当たり前。日本は不思議ねという。勿論、彼らに頼むことは出来るのかも知れない。事実日本で、在宅介護を家族が行っているケースは多い。
でも、在宅で介護をする負担は非常に大きい。そのために、子供たちの生活に負担を買えることは出来ない。これが私や滋子さんの偽らない気持ち。
家庭崩壊とか言うけれど、そうではなく、個人個人が生きていくのが精一杯の世の中。
子供たちには幸せになってほしい。これが親の気持ち。
在宅介護は、家族の負担の上に成り立つものでしょうか。
そんな制度ではないはずでは。
今、刈羽で新しい形の老人の村づくりを模索している。その中には介護の問題が避けて通れない。私の頭に家族の負担なんてひとかけらもない。夫婦が寄り添って、楽しく人生をまっとうできる制度つくりを目指している。
でも、どうしたらよいのか。答えは見つかるのだろうか。滋子さんとの生活の中から、その答えが生まれれば、うれしい。
本当にうれしい。