人生はチャレンジである。
平素、自分は恵まれていると感じていた。確信していた。だから、人以上に挑戦してきた。
そんな一生であった。
30歳過ぎに、古巣の会社を飛び出て、外資系会社に飛び込み、英語圏での生活となった。その後、日本の会社に戻り、救急救命士導入に没頭した。
40代になり、独立し、独りになった。いや妻と二人きりとなった。岩本町に事務所を構え、海外へ飛び出た。シベリア、極東、コーカサス、中央アジア、アフリカ、東南アジアと徘徊した。日本に帰ると妻が待っていた。疲れきった私に安らぎがあった。妻の笑顔があった。年甲斐もなく、私の帰りを嬉々として喜ぶ妻がいた。
人生はチャレンジである。妻が脳出血で倒れ、2年半、闘病から在宅まで、一緒にがんばってきた。
今妻が再び病床に着いた。
人生はチャレンジである。といえるのだろうか。妻にお疲れ様というのが精一杯である。
家に帰ろうね。今朝、会社に行く前に妻の病院へ。今はそれを言うのでこれも精一杯である。
すごろくでいえば、一回休み、振出しに戻るである。
さあ、滋子さんもう一度さいころを一緒に振りましょう。
平素、自分は恵まれていると感じていた。確信していた。だから、人以上に挑戦してきた。
そんな一生であった。
30歳過ぎに、古巣の会社を飛び出て、外資系会社に飛び込み、英語圏での生活となった。その後、日本の会社に戻り、救急救命士導入に没頭した。
40代になり、独立し、独りになった。いや妻と二人きりとなった。岩本町に事務所を構え、海外へ飛び出た。シベリア、極東、コーカサス、中央アジア、アフリカ、東南アジアと徘徊した。日本に帰ると妻が待っていた。疲れきった私に安らぎがあった。妻の笑顔があった。年甲斐もなく、私の帰りを嬉々として喜ぶ妻がいた。
人生はチャレンジである。妻が脳出血で倒れ、2年半、闘病から在宅まで、一緒にがんばってきた。
今妻が再び病床に着いた。
人生はチャレンジである。といえるのだろうか。妻にお疲れ様というのが精一杯である。
家に帰ろうね。今朝、会社に行く前に妻の病院へ。今はそれを言うのでこれも精一杯である。
すごろくでいえば、一回休み、振出しに戻るである。
さあ、滋子さんもう一度さいころを一緒に振りましょう。