東南アジア、シンガポールやタイへ 行くと、ホテルやタクシーの中の冷房のききすぎには閉口します。
どうも、冷房を強くするのは歓待の意味らしい。ホテルで、寒すぎて冷房を切っても、一向によくならない。どうも廊下の冷房が効いていることと建物全体が冷えているせいのようです。しかたなく、いつも長袖のシャツをパジャマ代わり持参する。
中国の食事もすごい。お客様が全部食べてしまうと、あの家は吝嗇で、お客に十分な食事をださないと陰口をたたかれる。したがって、こんなに食べれないと思うほどの量が饗応される。もっとも中国人の食欲から見ると、それほど多いことではないのかもしれない。
では日本人はというと、やはり灯りかもしれない。銀座、六本木などの盛り場だけでなく、防犯の意味もあるのだけれど、都内の道は路地も含めて街頭で煌々としている。
1970年代のオイルショックの時、当時茨城の鹿島にいて、時折、東京へ出ると高速からみる銀座は薄暗くうら寂しい印象でした。今は煌々とネオンサインの渦のなか。
部屋の灯りも欧米は全体の照明はほどほどにして、局所照明が中心である。たとえば、読書灯やダイニングの照明など。
文化の違いといってしまえば、それまでだけど。今エコエコと騒いでいる、まるで昔の少女コミックの黒魔術の呪文みたいに騒いでいる。
もしかしたら、我々の文化的な習慣、慣れ親しんでいる習慣を見直すほうが、エコにとって有効なのでは。
もっともも、薄暗い銀座は寂しすぎるし、街路灯がないと、痴漢がふえるかもしれないけど。
エコとは少し我慢した生活習慣ではないのかと思っている。
割り箸持参やエコバックは、エコの主張としてはわかるけど、その効果を考えると、もっと効果的な運動や提言があってもいいのでは。
今の硬直し、閉塞した霞ヶ関に文化を考えるのは無理とは思うけど。
エネルギーという文明を文化の眼でとらえるとまた別の解決方法が見出されるのでは。
新浦安の駅を折、大通りを歩いていると、街路灯の灯りが家路を急ぐ私には心優しい。
どうも、冷房を強くするのは歓待の意味らしい。ホテルで、寒すぎて冷房を切っても、一向によくならない。どうも廊下の冷房が効いていることと建物全体が冷えているせいのようです。しかたなく、いつも長袖のシャツをパジャマ代わり持参する。
中国の食事もすごい。お客様が全部食べてしまうと、あの家は吝嗇で、お客に十分な食事をださないと陰口をたたかれる。したがって、こんなに食べれないと思うほどの量が饗応される。もっとも中国人の食欲から見ると、それほど多いことではないのかもしれない。
では日本人はというと、やはり灯りかもしれない。銀座、六本木などの盛り場だけでなく、防犯の意味もあるのだけれど、都内の道は路地も含めて街頭で煌々としている。
1970年代のオイルショックの時、当時茨城の鹿島にいて、時折、東京へ出ると高速からみる銀座は薄暗くうら寂しい印象でした。今は煌々とネオンサインの渦のなか。
部屋の灯りも欧米は全体の照明はほどほどにして、局所照明が中心である。たとえば、読書灯やダイニングの照明など。
文化の違いといってしまえば、それまでだけど。今エコエコと騒いでいる、まるで昔の少女コミックの黒魔術の呪文みたいに騒いでいる。
もしかしたら、我々の文化的な習慣、慣れ親しんでいる習慣を見直すほうが、エコにとって有効なのでは。
もっともも、薄暗い銀座は寂しすぎるし、街路灯がないと、痴漢がふえるかもしれないけど。
エコとは少し我慢した生活習慣ではないのかと思っている。
割り箸持参やエコバックは、エコの主張としてはわかるけど、その効果を考えると、もっと効果的な運動や提言があってもいいのでは。
今の硬直し、閉塞した霞ヶ関に文化を考えるのは無理とは思うけど。
エネルギーという文明を文化の眼でとらえるとまた別の解決方法が見出されるのでは。
新浦安の駅を折、大通りを歩いていると、街路灯の灯りが家路を急ぐ私には心優しい。