11月25日は結婚記念日であった。意図的でもないのだが、何もしなかった。
朝、滋子が「昨日は結婚記念日?」
「そうだったね」
怪訝そうに、そう、と滋子が答えた。
「元気になったら、みんなでお祝いしようね。」といった。
うなずいた。
35年前、妻と私は結婚した。妻の母も私の母も生きていた。私の母方の祖母も元気で、詩吟と和歌をお祝いにもらった。みんな若々しかった。
勿論我々も、若かった。若すぎたのかもしれない。
新婚旅行は四国を選んだ。というより父が選んでくれた。夕方6時ごろの岡山から宇野行きの通勤列車で新婚旅行に出かけた。通勤客のみなさんが、気を使って席を譲ってくれた。気恥ずかしい1時間の行程だった。宇野へ着き、高松までの船に乗ろうとしたとき、会社の同期がお祝いに来てくれていた。
何もかも暖かい結婚式であった。
あれから、35年。
記念日というより、妻との長い道のりに感慨を持っている。
よく、我慢してくれましたね。
ありがとう。
記念日は、気恥ずかしいし、何か犯罪の時効のような気がする。
何年経ても、妻への感謝は変わらない。
朝、滋子が「昨日は結婚記念日?」
「そうだったね」
怪訝そうに、そう、と滋子が答えた。
「元気になったら、みんなでお祝いしようね。」といった。
うなずいた。
35年前、妻と私は結婚した。妻の母も私の母も生きていた。私の母方の祖母も元気で、詩吟と和歌をお祝いにもらった。みんな若々しかった。
勿論我々も、若かった。若すぎたのかもしれない。
新婚旅行は四国を選んだ。というより父が選んでくれた。夕方6時ごろの岡山から宇野行きの通勤列車で新婚旅行に出かけた。通勤客のみなさんが、気を使って席を譲ってくれた。気恥ずかしい1時間の行程だった。宇野へ着き、高松までの船に乗ろうとしたとき、会社の同期がお祝いに来てくれていた。
何もかも暖かい結婚式であった。
あれから、35年。
記念日というより、妻との長い道のりに感慨を持っている。
よく、我慢してくれましたね。
ありがとう。
記念日は、気恥ずかしいし、何か犯罪の時効のような気がする。
何年経ても、妻への感謝は変わらない。