ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川
ふるさとの歌詞の一節
今新潟の村と地域活性の仕事を始めている。
もちろん私にも田舎がある。
父が住んでいる家は、岡山の郊外で、田舎というより実家である。
母方の祖父が住んでいた家、田舎である。岡山県小田郡xxxx。東大の天文台がある遥照山のふもと。まさに小川が流れる田舎の風景がそこにあります。
矢掛という町(実はここに私の父方の実家がありました)からバスで30分程度。もっとも、一日何便かのバスですが。
私はおばあさん子だったようで、夏休みの大半をここで過ごしました。マムシが多いことで有名な土地ですから、野山を駆け巡りというわけには行きませんでしたが。
池などで、水遊びをしていると、ポトッ音がして、三角頭のきれいなマムシが泳いできて、目の前を通り過ぎていくことなど、日常茶飯事。
でも、おだやかな、のんびりした時間がそこにありました。バス停を降り、10分程度上った山の中腹に祖父の家があり、子供ごころに、祖父の家に行く楽しみと夏の暑い日ざしの中この坂を登るしんどさを不思議と覚えています。
今は、叔母の娘、つまり姪が住んで言いますが、祖父がなくなってから足が遠のいています。
母が亡くなってからなおさらです。
隣近所の家も代替わり。当時遊んでいた同世代の子供たちも、今は孫がいる身分でしょう。
過疎化波が確実にそこにあり、現金収入確保のために、近くの倉敷市や笠岡市に若い人は働きに出かけ、まさに老人クラブの雰囲気であり、日中は無人街のよう。この光景は岡山であれ、新潟であれ同じなんだろうと思っています。
この村をどうしたらいいのでしょうか。
若者たちがリターンしてくれる村にする?
子供の教育施設を作り、住宅を完備し、雇用を促進し、、、、、。おいしいあめというか蜜の絵を描いてみても、ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川の時代は、帰ってくるのでしょうか。
伊藤静雄。 私が大好きな詩人。その中に、田園風景を歌った詩のなかに、私の望むものがそこに全てある  という一節がある。
私の生まれた村、新潟の村、これが理想なのかもしれません。どうしたら、あの時代がもどってくるのでしょうか。