さて、台湾をどのように一周するか。まずぐると一蹴してみようかと思ったのですが、当時、太平洋側は花連までの道はあるのですが、台東までの道と交通手段がはっきりしない。仕方なく、花連から横断し台中、嘉義、台南、高雄、恒春、そして台東まで行くかと考えました。期間は4週間、十分時間がある。
さて、台北から花連までのバス。確かな時間は忘れましたが、確か朝7時ごろ出発。バスは結構混んでいて、おばさんたちの話し声。最初は興味深く見ていましたが、そのうち、だんだん気になりだし、そのうち鶏小屋の中にいるみたいな感覚に襲われ、早く着いてくれないかな、それだけを念じていました。ところが、花連まで10時間の旅。つまり10時間、鶏小屋。そのうちバスは休憩地点。トイレタイム。
バス停に着くと、どこからともなく物売り。すごい数。弁当や果物。果物はバナナや竜眼(ライチみたい)。その食べかすを床にごみ入れでなく落とす。レストランでもそうだけど、当時、食卓や床に食べかすを落とすことには無頓着のようで、今は勿論違うでしょう。
結果として車内は竜眼の皮の山。皮はごつごつで硬いけれど、中はやわらかい、むしろぬるぬる。歩くたびにつるつる滑る。トイレタイムにバスの中の移動は、滑らないように注意しながら、しかもその臭いに閉口。
台湾の太平洋岸は、山が海岸まで迫っていて、町は少ない。Lian市を過ぎると、海岸沿いを走る。ほとんど一車線。対向車が来ると、命がけのすれ違い。
太平洋の紺碧の海。どこまでも青い空。そして車内は悪臭と鶏小屋。今にも路肩から落ちそうなスリル。10時間があっという間。苦痛と苦痛の合間に見えた太平洋の青さは今でも思い出します。
もっとも我々は10時間の旅ですが、この道路と台湾の縦断道路は戦後、体液軍人の雇用のために作られた道路で、10年以上の歳月をかけた道路とのこと。

途中山が切れて、なだらかな平地。そして川。そして信号。信号待ち。え?信号。実は川にかかっている橋が一車線であることから、信号つきの橋。対向車はないのに、律儀に信号待ち。
今もあの信号はあるのだろうか。
やがて、日中の暑さが徐々に海風とともに去っていく頃、花連に到着。花連は大理石の産地。宝石の山地でもあるとのこと。ここで一泊。そして、次の日は台湾横断のたび。
その夜、宿の主人の紹介で、台湾民族踊りを見に行く。あまり覚えていないが、なぜか
“阿里山的姑娘”の歌は印象に残っていました。そして、2日後劇的な再会をすることになりました。
台湾へ来て、すでに10日。気がつくと日本のことはすっかり忘れて、日々寝ることと食べることのために、全力投球。やがて全身の力が抜け、旅の楽しさと孤独に浸っていました。
宿は、標準冷房。つまり冷房装置はなし。間仕切りがあるが、天井がないので、隣の音は全て聞こえる。なにやら男女の声。中国語だからぜんぜんわからない。やがて、怪しげな声。 
旅の楽しさと孤独を堪能する夜とな