当時の旅行は、極貧旅行、宿泊費、食費交通費合わせて、1,000円の旅行。
すべての荷物をリュックサックに入れ、せめて野宿だけはしないように、安い宿を探し、あとは根気よく値引き交渉。私の交渉能力はこの旅で磨きました。
とはいえ、台北は台湾の首都。ここは別格で、やはり高いし、安宿はあまりにも怪しげで、治安が悪そう。なによりも閉口なのが、不潔であり、悪臭がすごいこと。
最初の予定は、台北で1週間ほど過ごして、それから、地方へと思っていました。長春路だったと思いましたが、フルーツパーラーで会った人が、短期間なら、知人のアパートが開いているので、安く貸すよといわれ、早速アパートへ。
外観は悪くなさそうなので、これはラッキーと台湾人はなんと親切なのかと、感謝。外で待っていると、大家さんがお出まし、中国語で二人でなにやら相談。そして私を紹介。
「日本の学生さんですか。」
「お名前は」
「どこの大学ですか」
「お生まれは」
流暢な日本語。聞くと若いころ、日本で働いていたとのこと。当時はまだ、日中国交回復前、日本と台湾の間は正式な国交があった時代。
路上で、日本語で紹介しあって、気が付くと回りは人だかり。
あわてて、部屋に案内してもらう。
日本のアパートと同じような構造で、外付けの2階への階段を上り、長い廊下に5,6室の部屋が会った記憶があります。
大家さんが、ドアを開けると、なにやら異様な雰囲気。壁には柿の大きな種のような模様。同じものが、部屋の板の間をごそごそ。突然の闖入者(わたくしのこと)に驚いて、壁の模様が部屋の中を飛んで大移動。
そうか台湾では、ゴキブリが飛ぶんだ。日本でも見たことがありますが、さすがに大量のゴキブリが飛ぶ光景はただ、唖然。
唖然
唖然。
唖然。
大家さん、さすがに台湾のひと。親切に近くに薬局へ連れていってくれ、多量の殺虫剤を購入。部屋に戻って、大量殺戮。ホロコースト。これ以上やると、こちらにも致命的なダメージが。
大家さんいわく
「明日からこれですめますよ」
「寝具はあした、家から持ってきてあげましょう」
「食事はまだですか。」
ええと答えると、手帳に住所と電話番号。6時に個々へ来てください。判らなければ、電話ください。 名前は、黄さん。
外へ出て、アパートの場所を確認する。
当時の長春路は、今のように繁華街ではなく、のどかな路でした。ただ、信号が非常に少なく、慣れないと渡るのも一苦労。長春路は理髪店の多いところで、ピンク色のあでやかな飾り付けをした理髪店をそこかしこに見ることができました。当時の理髪店は、単に髪をセットするだけではなく、お店の女性と短期恋愛をする社交場でした。したがって、台湾の奥さん、だんなが理髪店へ行くというと、かならず奥さんの知人の店に行くように、旦那に言いつけ、店には特別なサービスは決してしないように念を押したそうです。
とにかく、目印がない。近所の店の名前を手帳に書き、ホテルに戻りました。
それから、6日間、そのアパートに暮らし、ゴキブリと仲良く暮らしました。あれだけ、大量殺戮したのに、ゴキブリさんは同胞の恨みをあっさり台湾の水に流し、次の日からも、友好関係を築くために訪問団を結成して、大挙してきました。よく考えると、ひとつの部屋のゴキブリを殺しても、隣家に住んでいるゴキブリさんは、ご健在で、新しい住居ができたと思っているようです。時間とお金の無駄。
中国語で、浪費。
滞在中、この大家さん、私の旅行のことを聞き、いいね、若いうちだから気をつけて、がんばってくださいと激励をしてくださり、毎日夜食事に招待してくれました。さらに、台北から花連へ行く日、わざわざ、家族で見送りに来ていただき、おまけに台湾から花連までのバスのチケットを僕のために購入してくれました。
当然のように
「これ、プレゼント」とキップを渡してくれたとき、本当に台湾の人の温かさに触れた思いでした。