38年前の話である。昔話である。
紀貫之なら
むかしおとこありき で始まる。
那覇の泊港を出発し、翌日早朝宮古島。午後台湾の基隆へ向けて、東シナ海を渡る。
那覇から宮古島もかなりゆれた。しけである。
当時の船の2等船客室はたたみである。旅客はシーツつきの毛布をもらう。それが、各室の中の自分の領分。
那覇から宮古までの船はほとんど旅客はいなくて、たたむ50畳(いいかげん)程度の広間に10数人。
夜半しけで大揺れ。隣の宮古島のおじさん、酔い止めといわれて、水筒に入った泡盛をくれる。
一口水筒のキャップで飲む。わずかである。死ぬ思い。のどが別人格になり、のた打ち回る。本人は何が起きたかわからない。とにかくきつい。
おじさんいわく、泡盛で酔っ払えば、船酔いはしない。ひっつ、ひっつと私の様子を面白そうにいいながらおっしゃる。
仰せの通り。
もういっぱい、キャップにつぎ、今度はゆっくりつばと合わせて、ゆっくり飲む。
変わらない。でも、もういっぱい。
やがて、消灯。 海は寝てくれない。さらに大荒れ。
畳の上をシーツごと滑っていく。最初は踏ん張っていたけれど、最後はあきらめ、なるようになれ。
翌朝、朝ぼら家のなか、台湾、陸地を見る。
基隆は雨の港といわれる。
その日も雨模様。
ごったがえす入国管理事務所で入国審査。
午前中いっぱいかかって、やっと正式入国。
台北行きバスにのる。
台湾の田舎道をのんびり揺られていく。やたらに赤レンガを作っている家が見えてくる。
このあたりは赤レンガを作っているところらしい。
隣の学生らしきひとが、片言の日本語で教えてくれた。
英語は大丈夫とのことで、「Are you Chinese?」今思えば馬鹿げた質問。その当時の私の英語力ではこの程度。若かったんですね。
でも、中国なまりの英語で、「No.」
「I am Taiwanese.」この答えの本当の意味を知るのは後日。
でも彼の真摯な答えにいささかびっくり。基隆から台北までの工程。英語と日本語、そして最後は筆談。3時間か4時間かかったような気がしますが、初めての外国。緊張感であっというまに、台北の雑踏に放り込まれました。
介護亭亭主 談
[ 19歳のとき、初めて台湾へ旅行しました。お金だけもって、何の計画もなく、ただ、往復の切符だけもって。最悪、帰還はできるように。その折の出来事を忘れないうちに書きとめようと。すでに私の脳細胞から徐々に欠落してきていますが。]