翌朝、バスに乗って、彼女の田舎コザへ向かう。途中の空はまさに紺碧。途中牧港で海を見る。その先は、東シナ海、そして大陸。やがて、右手に鉄条網、嘉手納基地である。
嘉手納基地を右手に回って、コザへ入ろうとするとき、突然基地のほうから轟音。大型の輸送機が基地から離陸し、幹線道路の真上を飛び立っていった。丁度海の底から鯨の腹をみているような映像。当時ベトナム戦争のさなか。沖縄はまさに戦時中。
当時沖縄の市内の繁華街は十字路といい、その十字路を中心に商店街があった。コザはあまり記憶がないが、やはり横文字の多い街であった。
夜、食事とお酒をと、市内へ出る。やたらに米国人が多い。
下卑た笑い。お酒の吸えた臭い。薄暗い町並みの中、飲み屋の看板だけが妙に明るい。不思議な世界でした。
少し路地に入ると、住宅街。そのしじまの中で、ときどき、男女のいさかい、抱擁。交渉。そして決裂。
コザは本当に夜の街でした。
一泊し、那覇に戻った。夕方宮古経由で、台湾へ向かう船に乗るためである。コザからの途中、もう一度嘉手納を見る。鉄条網が続き、その途中にバス亭。老人が一人海のほうを見ながら、バスをまっている。
陽射しが本当にきつい。過酷である。
森山良子さんのサトウキビ畑という、たしか全曲16分の日本で一番長い歌(不確か)。
歌詞のほとんどが、ざわわ ざわわである。
サトウキビ畑を通り過ぎる沖縄の風である。
戦火の中の風である。すべてを殺してしまう風の音である。
あの当時、あの風は、まだ沖縄に吹いていたのだろうか。