エレーナさんの続き
以前お話しましたように、西シベリアへの視察旅行は私にとって何もかも初めて。渡された資料は以前ある大学のチームが視察した報告書のみ。出発前夜、大使館のかたが、焼肉レストランで壮行会。外務省職員すら行ったことがない地域とのこと。
当日、空港で初めてメンバー紹介。
英国コンサルタント会社スタッフ、ブルガリアの心臓内科医師(医薬品担当)、通訳のエレーナさんそして外務省Kさんと私。
当時の国際線の空港もひどかったけれど、国内線は不可解。チェックインをし、待合室で待機。アナウンスは一切なし。英国コンサルタントのPさんとエレーナさんが職員に確認。
一人確認、不明。さらにもう一人、現状は変わらず。そろそろ出発時間。他の乗客は無関心、無感情。(だんだん慣れてくると、判って来ましたが、かれら結構不安を感じていたようで、ただ聞いても無駄と思っていたようです。)
結局判ったこと。午前中の便、乗客が少ないので午後便と一緒にしたとのこと。空港で6時間待機。モスクワに戻って、食事を取ることにしようとKさんの提案。Pさんとエレーナさんは、午後の便に乗れないかも知れないので、空港で待機することを提案。出発時間が変更されるかもしれないとのこと。我々は半信半疑。まさか。ブルガリアのS先生。ロシアはこんな程度と、反ソ感情を控えめに、知的に表現。世が世なら非常に著名な先生とのこと。ロシアなど共産圏では、医師、大学の教授などの給料は非常に安く、(いずれ面白い経験をお話します)、こうしたアルバイトは通常行われている。
しかたなく、空港の近くのレストランで食事と休憩。レストランに落ち着き、メニューを見て、、、、さっぱりわからない。ご存知のようにロシア語には、ローマ字にない文字がいくつか。
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かろうじて、わかるのはクラシネ イクラ(赤い魚の卵  日本のいくら)。Pさんとエレーナさんにすべて、お任せ。非常に美しいウエイトレスのお嬢さんに注文。注文するたびに、ない、ないとのこと。すみませんの表情はなく、ただ、ないとのご返事。最後に何が食べられるかの質問をすると、待ってましたとごとく、メニューを指差す。それを注文すると、ダーとのひとことを残し、さっさと引き下がってしまいました。私としてはもう少し見ていたかったけれど。
料理が次々とテーブルにのり、初めての料理に、エレーナさんに質問。その都度丁寧説明をしてくれました。きっと食事を味わう気分ではなかったのでは。
シベリア40日間。エレーナさんはいつも我々のために笑顔と親身さを示してくれました。ロシアのイメージ。酔っ払いと路上の貧しき人々、言論統制さまざまな嫌な思い出、印象をすべて彼女が吹き飛ばしてくれました。40日の間に理解したこと。彼らの悪印象はほとんど、地方のロシアの人々の中央政府からの締め付けに対する防御反応や異国の人々への警戒心からだと。
40日間極寒のシベリアで、ロシア人の繊細さとひとなつこさを理解できたのもエレーナさんの流暢な通訳と母親のような優しさだったかもしれません。