今朝のニュース。
パラリンピックで100mを走る女性選手の話し。並走する選手との間にはロープで繋がっていて、このロープのわずかな緊張により、走行軌道を修正するそうです。
このロープ 絆というそうです。

私と滋子との絆
今日はじめて、このブログの読者のかたから、介護日誌というより妻へのラブレターのようだというコメントを頂きました。こんな私的な話しの積み重ね、読んでいただきありがとうございました。
さて、私と妻との絆は?
中学時代から,知っていました。同じクラスでしたから。好きだったかって。そんな意識を持ったことはお互いなかったと思っています。妻の印象「めがねをかけたがり勉。(若い人にこの言葉は通じるかな)、取っ付きが悪い。あおなり瓢箪。」私の印象。「あまり印象なし」中学2年、3年のころの女のこは、成長度合いに個人差があり、胸も大きく、まさに女という子と妻のように小学生の延長という子がいたと思っています。では胸が大きい女の子の前でどう思っていたかというとあまり記憶がありません。でも淡い恋心を感じていた人は何人か思い出します。妻ではありません。
その後、別々の高校生活。私は名古屋の大学。妻は高校を出て、社会人。にきび
の多い小さい子。でも目がとても印象的であったことを覚えています。わくしはというと妻の印象「めがねをかけたがり勉。取っ付きが悪い。あおなり瓢箪。変わりなし。
大学卒業を目の前にした冬休み、正月。同窓会の打合せに、妻と久しぶりに会う。僕よりすごくかっこいい林君と一緒。絣の着物で相変わらずにきび顔。でも、本当にこのときが、最初の妻との出会い。
それから、大学卒業、就職。新潟、愛媛、倉敷と新入社員実習。あわただしく月日が過ぎていきます。その間寸暇を惜しんで、妻へアタック。というより説得。
気がつけば、その年5月に結納。
11月の結婚。そして茨城鹿島へ勤務。東京へ転勤。退職。ヘッドハンティングによる外資系会社へ再就職。独立。再就職。とあわただしい人生。その間妻は、社会進出。社交的にいろいろな人との出会いを楽しんでいたようです。
さて、絆。妻との絆を意識したのは何時頃だったのでしょうか。マイペースで生きてきました。もしかしたら、妻を置き去りにして。絆。やはり何時かは分かりません。でもここ数年、なんとなく一緒によくここまで来たねとおたがい実感していたのも事実です。娘が結婚して、いまは孫が3人(匹)。息子もことし結婚。
ふと振り返ったとき、今山の頂上近く。マイペースでひたすら頂上を目指して歩く私。さて妻は、後を景色を楽しみながら、同伴者のおば様達とぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。ゆっくり上ってきました。気がつけば、妻と私の間に、あった、、、、絆。