阪神大震災から、すでに20余年。いろいろのことが、風化していきます。
その年が、私が海外の仕事を始めた年であり、独立しようと考えた年であり、思い出深い年であります。妻にとっては不安の募る年でしたのでしょうか。以後、カザフスタン、モルドバ、グルジア、アゼルバイジャン、ハバロフスク、ウラジオストック、カムチャッカ、サハリン、セネガル、インド、ケニア、、、、、。私の海外での生活は続きました。シベリアで印象深いことは、シベリアに沈む赤い夕日。それにシベリア鉄道の漆黒の車窓でしょうか。まるで、銀河鉄道の世界でした。我々の旅程の最後、ノボスビルスクからオムスクまで。夜10時発、朝10時着。確かな時間は忘れました。
各自の重い荷物を持って、プラットホームを1時間程度さまよい、目指す列車に飛び乗ったのが発射10分前。勿論改札はなし。実は改札口がわからず、駅の裏から線路伝いにぷラットホームに上った次第。それが夜9時過ぎですから、、、、警備に見つかり、銃殺されても文句は言えない状況。とりあえず、私と外務省Kさんが先陣で、あとの3人は翌日オムスクへ入る予定でした。二人でやっと客車に案内され、入ると先客。闖入者に怒りの形相、シッポを立てて、威嚇。種類はシベリアンキャット(本当かな)とのこと。2匹。聞くと車掌のおばさんが飼っている猫とのこと。
荷物を置いて、一休み。
Kさんと連れ立って、食堂車へ。食堂車は予想外に広く、テーブルが10.お客はウォッカのビンを友達に転寝しているおじさん。疲れきった様子のウエイトレスのおばちゃん、二人がテーブルに座って、井戸端会議。テーブルに着き、注文。誰も来ない。例のウエイトレスらしきおばちゃんに声をかける。余分な仕事はしたくないと体全体で表現しながら、のっしのっし。まさに名優。ロシア語で何か問いかけてくる。判らないので、無視。彼女のおしゃべりが終わった時点で、おもむろに、シャンペンスクを注文。シャンペンスクとはシャンペンのロシア語。なんと贅沢な。実はビールより安い飲み物で、アルコール度数は高そうなのですが、少し甘口。疲れているので調度いい飲み物。
シャンペンスクでKさんと乾杯。「いよいよ最後の調査地ですね」「シベリアももうすぐ春ですね」「モスクワに帰ったら、おいしい日本食を食べたいですな」。会話はすでに帰国モード。
ふと気がつくと車窓の外は漆黒の闇。窓ガラスには私とKさんの顔。そのむこうに、酔っ払いとくたびれたおばちゃんウエイトレス。外は暗闇。しばし眺めていましたが、外は文明のあかしである光は皆無。まさに銀河鉄道の世界。日本の夜汽車の車窓の景色は、ところどころに道路の街頭や街明かりがあり、まったく灯りがない世界は経験がありません。シベリアはまさに漆黒の世界。
その漆黒の世界に映る自分の姿。あのころ、私は家を守る妻のおかげで随分すきなことをしていたなあと思っています。
白秋から玄冬にかかる自分と奥さん。介護亭のメニューに思い出丼を追加します。
介護亭のメインのメニューは何。 滋子さん独占メニューの愛情鍋。もっとも中身は私の後悔と感謝。鍋のだしが滋子さんの微笑みと日々のリハビリ。