トムスク初日、その日最後の病院、トムスク母子病院。院長室。 院長との会談。
「未熟児が生まれた場合、どこで治療をするんですか」
「この病院の産科・分娩センター」
「何人ぐらい、未熟児がいるんですか」「担当の先生でないとわからないが、常時20人はいると思う」「では、産科病室と担当の先生に会わせてください」
「産科病棟は、無菌状態だから、部外者はだめだ」
「今回の人道支援で、産科に必要な機材がリストにあるので是非見せてください」
「だめだ」
「どうしてもお願いします。担当の先生と会わせてください。」
しばらく、無言。沈黙。
「判った。明日9時に病院へ来てください。私が案内します」
「宜しくお願いします」

シベリアに沈む夕日に慰められた次の日。
朝9時。トムスク母子病院前。院長が別棟の産科病棟へ案内してくれる。
迎えに来てくれた担当医師。36歳の非常にチャーミングな女性。今日は何かいい日の予感。
産科病棟に入って、その予想は一変。
白く清潔そうな病室。布にくるまれた未熟児。30人程度。付き添っている母親。その不安が顔ににじむ。本来赤ちゃんを授かって満足そうな顔であるはずなのに。
他に、何もない。病棟。ベッド。医療機器は? ない。 ない。 ない。10室以上ある病室に何もない。
例のチャーミングな先生が体重1,600gの赤ちゃんを抱いて、この子がこの病院へ来たとき、体重は1,300g。生きているのが奇跡です。
思わず、隣の外務省の人にこの病院にしましょう。いいですね。
外務省のKさん。思わずうなずく。私と同じ気持ちだったんでしょう。本来その場では何も約束できないのですが、思わずフライイング。でもこの日がシベリアへの人道支援が母子保健を中心とした流れに転換した日。個人的感想。感激。
ノートを出して、部屋のレイアウトを作成。ガス電気の位置を書き入れ。先生といっしょに、ここにインキュベーター、ここに輸液ポンプ。吸引器はここ。パルスオキシメーターはありますか。ない。それでは必要な台数をあとで検討しましょう。次々に部屋の機材配置図が完成。先生は夢ごこち。私とkさんのアドレナリンはあがりっぱなし。
仕事が終わり、院長室。
院長先生が一言。
「今まで、世界各国から派遣されて専門家が来院した。多くの質問。資料請求。最後に約束。そして、何も支援は来なかった。」
「今日あなたがたが、この病院で産科の先生と打合せをしたことは、実際的で本当に支援をしようとしてくれることが理解できました。本当に感謝します」
「今回あなたがたが来院してくれたことに本当に感謝します。機材の支援がこなくても、あなた方は我々に希望をくれたので、それだけで満足です」

その日同じシベリアの夕日をどんな感動でみたか。今でも忘れません。
医療は患者のため。そのことを肝に銘じた貴重な体験です。
医療は患者のため。
振り返って、日本の病院。清潔で高度な医療。安心できる医療。でも誰のため。
病院経営のため。
もう一度振り返って介護は誰のため。
私にとって、介護は妻滋子のため。そして私のため。
私が、今妻の介護を自宅でと考えた理由は、今の医療に失望したわけではなく。医療は誰のためと考えたとき、シベリアのあの院長が言ったことば。希望。
妻が希望する介護をかなえたいと思うだけであります。
この一言が言いたくて、皆様をシベリアまでご招待してしまいました。