神戸未曾有の大地震。2月末にサリン事件。このサリン事件を私はシベリアのオムスクで聞きました。まさか、、、ここはロシアだから、変なニュースが流れるのかと半信半疑でしたが、同行した通訳のイリーナさんから詳細を聞き、愕然。
なぜシベリアへ?
ロシア解体後、ロシアへの人道支援が始まり、その調査に当時外務省の外郭団体であったNIS支援室の以来で、西シベリア(オムスク、ケメロボ、ノボスビルスク、アルタイ、トムスク)の病院視察とどのような支援がいいかの調査でした。メンバーは外務省から1名、英国人1名、ブルガリア人1名、ロシア人通訳と私。まさにインターナショナルな調査団。でもはじめての都市でのやじきた道中。時期は2月末、極寒の地。春まだはるか。
とにかく凍りつく旅でした。街頭で5円程度で買ったロシア製のアイスクリームの暖かかったこと、まるで歩きながら石焼きいもをほおばる感じ、 少し大げさですが。
訪問する病院の一こま。
院長が尊大。少し酔っ払っている様子。自分の病院の自慢話1時間。通訳は疲労困憊。私は院長のとなりの可愛い秘書の顔を差しさわりがないように観察。
会談が終了した感想。
外務省「まあこんなもの、コンサルタントさんうまくまとめてください。」
ブルガリア人「まったくロシアの共産主義はなんともならない」
英国人「ノーコメント」
通訳「同じロシア人として恥ずかしい」
私「どうしょう。まとまりがつかない。 どうしよう」
仕事に疲れ、トムスクの市庁舎のソファーでぐったり。
トムスクを流れるトン川に沈む夕日の赤いこと。
ここは、戦後日本人が抑留された地。スターリンが政治犯を抑留した地。そして日本から分けのわからない仕事で、放り出された日本人のつかの間の滞在地。
どうなるのだろう、、、、。
つづく。
追伸
妻と介護のことを書こうと思ったのだけど、どうしてもシベリアの体験を前段に説明しなければと思っていたら、長くなりすぎました。少し辛抱して付き合ってください。
なぜシベリアへ?
ロシア解体後、ロシアへの人道支援が始まり、その調査に当時外務省の外郭団体であったNIS支援室の以来で、西シベリア(オムスク、ケメロボ、ノボスビルスク、アルタイ、トムスク)の病院視察とどのような支援がいいかの調査でした。メンバーは外務省から1名、英国人1名、ブルガリア人1名、ロシア人通訳と私。まさにインターナショナルな調査団。でもはじめての都市でのやじきた道中。時期は2月末、極寒の地。春まだはるか。
とにかく凍りつく旅でした。街頭で5円程度で買ったロシア製のアイスクリームの暖かかったこと、まるで歩きながら石焼きいもをほおばる感じ、 少し大げさですが。
訪問する病院の一こま。
院長が尊大。少し酔っ払っている様子。自分の病院の自慢話1時間。通訳は疲労困憊。私は院長のとなりの可愛い秘書の顔を差しさわりがないように観察。
会談が終了した感想。
外務省「まあこんなもの、コンサルタントさんうまくまとめてください。」
ブルガリア人「まったくロシアの共産主義はなんともならない」
英国人「ノーコメント」
通訳「同じロシア人として恥ずかしい」
私「どうしょう。まとまりがつかない。 どうしよう」
仕事に疲れ、トムスクの市庁舎のソファーでぐったり。
トムスクを流れるトン川に沈む夕日の赤いこと。
ここは、戦後日本人が抑留された地。スターリンが政治犯を抑留した地。そして日本から分けのわからない仕事で、放り出された日本人のつかの間の滞在地。
どうなるのだろう、、、、。
つづく。
追伸
妻と介護のことを書こうと思ったのだけど、どうしてもシベリアの体験を前段に説明しなければと思っていたら、長くなりすぎました。少し辛抱して付き合ってください。