おはようございます
良いお天気の大阪です。
朝から重い話ですみません。。。
今日、5月30日は、あるギル友さんの命日です。
去年の5月30日、彼女は天国に召されました。
私と彼女はギルのファンになってから知り合いました。
以前、日本にもナムギルの「ファンカフェ」という掲示板サイトがありました。
私も彼女もそのカフェに入っていましたし、LINEもfacebookもInstagramも無い頃でしたので、私たちはよくTwitterで話していました。
彼女と初めて会ったのは2012年の「赤と黒」の東京ファンミでした。
その時はたくさんの方にお会いしたので、あまりよく覚えていないのですが、名古屋のレストランでオフ会があった時にゆっくりしたのが覚えている最初です。
その後、ファンミではいつもお会いし、米花輪やバルーンにはいつも参加してくださっていました。
彼女がなぜ亡くなったのか
いまだに私はお聞きしていないのですが、彼女があるときからウィッグになった・・・というところからだいたい想像できます。
それでも、その後何回かお会いしてからも元気そうにされていました。
それなのに・・・
昨年、3月のZepp Osaka Bayside の横でお話したのが最後となってしまいました。
私が昨年の埼玉でのファンミには行けなかったので、彼女はギルの様子をリアルタイムでLINEで送ってくれました。
ファンミの後、ほんとうにあっという間でした。
5月31日に息子さんから「昨日、母が亡くなりました」・・・と。
彼女のLINEからの連絡でした・・・。
実は彼女のご主人は韓流嫌い。
彼女はご家族に内緒でギル活をしていたのです。
そんな制限があったのに、彼女のギル活はとても活発でした。
韓国の撮影現場などを自分で探し当て、ひとりで韓国旅行に行っていました。
息子さんにその話をすると、「家族はずっと知りませんでした。
友達と旅行に行っていると思っていました。でも、母がそんなに一生懸命になって楽しんでいたことがあったのは、今思うとよかったなぁと思います」ということでした。
私は息子さんに「お願いです。1枚でいいのでナムギルの写真を棺に入れてあげてください!」 とお願いしました。
息子さんから「父にわからないように棺にナムギルさんの写真を入れました」というお返事が来ました。
あれから1年、やっと思い返すことができるようになりましたが、ファンミがあると思うとまた胸が痛みます。
彼女はあの時、ギルが愛犬「HARU」の話をしたとき、どんな思いだったのだろう とか、
お見送りのとき、ギルと向き合って何を考えたのだろう
そう思うとまだ涙が出てしまいます。
今はきっとHARUと一緒にギルと私たちを見てくれているかな
これからのファンミは彼女の心と一緒にギルを応援したいと思います。
最後に、彼女から私へのメッセージを。。。
「명불허전(邦題:医心伝心)」でヨンギョン先生のおじいちゃんの家であった「恵民署韓方院」。
今は宿泊施設となっていて素敵なところです。
ここの管理をされているチェ・ソンスクさんは日本語が堪能な方です。
彼女からのメッセージは「日本のナムギルさんのファンの方にたくさん来ていただきたいということなので、すーちゃんのブログで紹介して~」 ということでした。
江華島・黄氏邸宅
http://liumeiuru.hacca.jp/2012/11/23/
この写真はかなり前の写真で、今はとても綺麗にリフォームされています。
渡韓される方は、是非こちらにも行ってみてください。
そして、彼女がとても好きだったギルのセクシーショットを
「女性自身」に掲載された写真です。
みんなの心に彼女は生きています。
今年も一緒にファンミでギルを応援しようね