最近は自分の時間の使い方、組織全体としての時間の使い方、これに注意を払うことに重点をおいてしまう。


自分の時間の使い方では立場上、組織全体の時間の使い方にそのままつながってしまう。


つまり私の1時間という時間が組織の20時間、30時間の短縮につながったり、逆に増加につながったりとその役割は重い。


その中で時間を再編成するときに重要なのがその人それぞれの「動機づけ」であると最近は思う。


いわば動機の違いでその生産性は2倍にも3倍にもなり得るし、またその逆もある。


人はやらされることが嫌いな動物であると思う。


よく子供のころ、「宿題やりなさい」と親に言われ、「やろうと思っていたのにやる気をなくした」なんて言い訳をしたものだ。


これは動機づけのよく現れたやりとり。


「宿題やらないと、何が起こるのか?」これを質問して理解させることが重要。


私は組織でこの親にあたる役割をきちんとできているかと言えば、ノーであろう。


とにかく、よく話すし、よく怒るし、よく体も動かすし、そういったアクティビティーが組織をかき回してしまうことが少なくない。


たとえ言われてやるにしても、そのやる理由を自分なりに見つけてそれを完結する根性というか、負けず嫌いというか、責任感というか、この気持ちの持ち方が動機付けと並んで重要なのではないか?


あきらめてしまえば負けることは簡単。


たとえ与えられた、命令されたことだととしても、それをやる理由を見つけて、それを動機にしてしまうくらいの気持ちが我々には必要なのではないかと思う。


わたしがこれまで過ごしてきて、何かを得る人間、達成する人間というのは、根性や責任感を継続的に発揮できる「頑張り屋」であったように思う。


挫折を知らない天才は非常に弱いような気がしてならない。