どこかに出かけたかったが、人が多いのは苦手だし、
静かなところで面白いところないかなーということで、
横浜市歴史博物館に行ってみた。

横浜の都筑区って、古墳時代の遺跡が数多く出土していて、
数多くのおもしろい展示物(昔の土器とか)
縄文の古代から現代までのいろんな展示物があった。

建物の外には、竪穴住居の復元跡と、公園があって、
子供がサッカーして遊んでたり、江戸時代の農家の民家が残されていて、
そこでお茶会やってたりして、癒される環境だった。

俺の先祖は誰だったんだろうとか、どういう人々が混血して
今の俺につながってるんだろうとか、そういうことを考えるのは楽しい。

北海道の原住民であるアイヌの人々は、実は縄文人の子孫で、
日本人も縄文人の血を受け継いでいるから、先祖は同じかもしれないとか、

朝鮮半島から来た人々は、日本に来てから爆発的に増えたから、
DNAの割合では、縄文の血はそれほど濃くないかもしれないとか、

でも、日本人はものすごく多様で、均一なDNAを持っている訳でもなく、
きっと俺もどこかの要素を多く持ってたり少なく持ってたりするんだろうなと
どうでもいい空想を膨らませたりする。

まあ、どうでもいいか。

今日は久しぶりに走った。
湿度が高く、異常に汗をかいたが、運動不足だったのでちょうど良かった。


<追記>

日本人のルーツのことを書いた後に思った。
生きるために日本に渡ってきた人たち(渡来人も縄文人の先祖も)は、グローバルな人たちだったんだ。
現代はグローバル経済っていうけど、人が生きるために生きる道を海外に求めるんであって、
自分の生地で生きられなくなった人、追い出された人たちが生きるために新天地を求めたって
ことが、結局グローバル化の根源じゃなかろうか。

頭のいい一部の人が、狙って海外に進出するってのはあるかもしれないけど、
大多数の多くの人生は、自分が生きるためにフロンティアを目指す。

だから、国の境界を越える越えないに関わらず、各人生にはそれぞれのフロンティアがあり、
それぞれがグローバルに生きているはず。

頭であれこれ考えない。

会社の人たちは、みな頭がいいので、
頭脳を使って予想したり、空気を読んだり、斜めから疑って検証したり、
それでいて自然に自己表現をしているように見せられる。

俺は、それができない。
だから莫妄想。

失敗にも引きずられない。
今この瞬間にできることをやる。
将来もわからない。

将来の予測を立てて、狙って達成などできる気がしない。
策を練ったり、人間関係図を操作したりなど想像もつかない。

俺は莫妄想、非思量、放下着を目指し、
あるべきようでありたい。





ウチではあまり魚を食べない。

うちの奥さんが魚のにおいが駄目で、あまり魚を料理しない。
調理も駄目だし、生魚がすべてNG、焼いたものも、においがあればNG。

しかし、今日、小林製薬の

「チンしてこんがり魚焼きパック」というのを買ってきて試してみた。

塩サバの切り身を挟んでレンジでチンしてみた。

すると、意外に匂いも出ず、ウチの奥さんも大丈夫だといって食べていた。

今後も使えそうである。

でも、レンジが臭くなるという情報もネットにあって、

まだウチのレンジは臭さは感じないのだけど、気になるところである。