壮絶人生から見る社会。寄稿すればバズる。20代論客、初のエッセイ。

 

“まだ子どもだった頃、私にとって育った村は逃げられない檻だった。

絶え間のない暴力と、際限のない貧困を閉じ込める檻"

 

隣で楽しそうに笑っている子、じつは困っているのに、言えないだけかもしれない――

家賃を払い、学費を払い、病気になれば治療費を払う。

安心できる居場所がある。

そんな当たり前の日常を送る者の視界からは、こぼれ落ちる人たちがいる。

しかし、そうした存在は意外と目に付かない。

生まれながらに持たざる者は、経験が限定され、将来の選択肢を失いがちだ。たとえば、

 

◎高校の制服が買えない

◎お金がかかるから部活に入れない

◎中古1円の参考書で受験勉強

◎大学ではひとり、紙の辞書

◎レポートを書くPCが買えない

◎夏の底辺シェアハウスはベランダで寝る

◎友人からのプレゼントにプレッシャーを感じる

◎医療費が不安で自主退院

◎コロナ禍でも外で働かざるを得ない etc.

 

あの子はほんとに、なまけもの? 貧困は自己責任なのか? 塾も習いごともあきらめて、独学で国公立大学に進学した著者は言う。「それでもまだ、スタート地点に立てたわけではなかった」と。

みなが自分の“強者性"を自覚する。そして、今より5ミリずつ思いやりの手を伸ばす。

その総和が社会を優しく、生きやすくするのではないか?