2月7日、赤坂ブリッツで行われた『伊藤かな恵 Live Tour 2015「ツナガルケシキ」』に参加してきました。
先日のゆかちの大阪でのライブに続いて強行軍。仕事終わりにダッシュで会場へ向かい、開演から30分くらい過ぎての到着。
私が入場してからタイミング良く「これだけは聞きたい!」と思ってた「ユメ・ミル・ココロ」が始まったのでとりあえず安堵。
今回のツアーはかな恵ちゃんの音楽活動5周年記念で昨年リリースされた5枚のシングルを中心に行われました。
昨年と言えばスフィアさんもアレだったじゃないですか。そうなるとどうしてもかかる比重がそちらに傾く訳で、正直申し上げてあんまりかな恵ちゃんにまで手が回らなくて…
でも!それでも!ライブやるなら行きたい訳ですよ。だって行ける所でやってるんだもの(遅れはしたが)。
感想としては、ただただ「可愛い」に尽きる。申し訳ないけど。
もうね、一挙手一投足ずべてが可愛い。声が、仕草が、立ち居振る舞いが「可愛い」を計算して再生したらこうなりました、って言う感じ。いや、もちろんいい意味で。別にあざとくないです。念のため。
あとは今回も盛大にやってくれた大失敗ですかねぇ。ファーストツアーの時の伝説の「舞台袖に帰る事件」に勝るとも劣らない。あそこまで完全に曲に入るタイミングを逃すアーティスト初めて見た(笑)。
でもまぁ、ライブは生ものですからね。そういうアクシデントも含めて醍醐味ですよ。
そしてなによりファンの人たちが優しい。会場がオールスタンディングだったんですけど、MC中に後ろの人にも見えるように前から順にかがんでくれるとかあんまりないよ(笑)。
と、ここで話は急に「夜ノヤッターマン」になる訳だが、不意に思いついたので思いつくまま書いてしまおう。なぜかってさっき見てたからだろう。
「夜ノヤッターマン」のドロンジョは少女である。付き従うボヤッキー、トンズラーは成人男性である。大まかに言えばこの3人は主従関係であり、例え主が年端もいかない少女であろうと命令には背かない(今のところ)。もちろんそういう関係性の上でボヤッキー、トンズラーは行動しているのだが、それ以外にも「この子を自分たちが守らなきゃ」という親心というか父性本能というか、そういう意識も働いているような気がする。
惚れた者の弱みというか、自分が好きになった人が何かを成し遂げようとしているなら力を貸してあげたいと思うし、その人が笑顔になってくれるなら全力で尽くそうと思うだろう。それは主従関係などではなく純粋な好意ゆえの行為。
翻ってかな恵ちゃんである。
彼女は端から見ていると少し危なっかしい。ライブのことで言うのなら、まだ場数をそんなにこなしていないから、どこか何かやらかすんじゃないかと思えてしまう(実際やらかした)。加えてあの容姿であるからこちらも気が気で無い。大丈夫だろうかとハラハラする。娘の晴れ舞台を見る心境だろうか。もし何かあればフォローしなくちゃと庇護欲が掻き立てられるのだ。
多少音程が外れてもいい。MCがダラっと長くなってもいい。歌い出しのタイミング逃しても文句なんかない。そのリアクションを愛でてあげなきゃ…
そんな気にさせてしまうのはある種の才能だろうか。ちょっと方向性を間違えれば悪女にもなるが、生憎そんな雰囲気は(少なくともファンには)伝わってこないどころか、あまり意識してない気もする。
そこが魅力なんだろうなぁ、と思うがどうだろう。
いやはや何ともまとまりのない文章ですが、今回はこれにて。
先日のゆかちの大阪でのライブに続いて強行軍。仕事終わりにダッシュで会場へ向かい、開演から30分くらい過ぎての到着。
私が入場してからタイミング良く「これだけは聞きたい!」と思ってた「ユメ・ミル・ココロ」が始まったのでとりあえず安堵。
今回のツアーはかな恵ちゃんの音楽活動5周年記念で昨年リリースされた5枚のシングルを中心に行われました。
昨年と言えばスフィアさんもアレだったじゃないですか。そうなるとどうしてもかかる比重がそちらに傾く訳で、正直申し上げてあんまりかな恵ちゃんにまで手が回らなくて…
でも!それでも!ライブやるなら行きたい訳ですよ。だって行ける所でやってるんだもの(遅れはしたが)。
感想としては、ただただ「可愛い」に尽きる。申し訳ないけど。
もうね、一挙手一投足ずべてが可愛い。声が、仕草が、立ち居振る舞いが「可愛い」を計算して再生したらこうなりました、って言う感じ。いや、もちろんいい意味で。別にあざとくないです。念のため。
あとは今回も盛大にやってくれた大失敗ですかねぇ。ファーストツアーの時の伝説の「舞台袖に帰る事件」に勝るとも劣らない。あそこまで完全に曲に入るタイミングを逃すアーティスト初めて見た(笑)。
でもまぁ、ライブは生ものですからね。そういうアクシデントも含めて醍醐味ですよ。
そしてなによりファンの人たちが優しい。会場がオールスタンディングだったんですけど、MC中に後ろの人にも見えるように前から順にかがんでくれるとかあんまりないよ(笑)。
と、ここで話は急に「夜ノヤッターマン」になる訳だが、不意に思いついたので思いつくまま書いてしまおう。なぜかってさっき見てたからだろう。
「夜ノヤッターマン」のドロンジョは少女である。付き従うボヤッキー、トンズラーは成人男性である。大まかに言えばこの3人は主従関係であり、例え主が年端もいかない少女であろうと命令には背かない(今のところ)。もちろんそういう関係性の上でボヤッキー、トンズラーは行動しているのだが、それ以外にも「この子を自分たちが守らなきゃ」という親心というか父性本能というか、そういう意識も働いているような気がする。
惚れた者の弱みというか、自分が好きになった人が何かを成し遂げようとしているなら力を貸してあげたいと思うし、その人が笑顔になってくれるなら全力で尽くそうと思うだろう。それは主従関係などではなく純粋な好意ゆえの行為。
翻ってかな恵ちゃんである。
彼女は端から見ていると少し危なっかしい。ライブのことで言うのなら、まだ場数をそんなにこなしていないから、どこか何かやらかすんじゃないかと思えてしまう(実際やらかした)。加えてあの容姿であるからこちらも気が気で無い。大丈夫だろうかとハラハラする。娘の晴れ舞台を見る心境だろうか。もし何かあればフォローしなくちゃと庇護欲が掻き立てられるのだ。
多少音程が外れてもいい。MCがダラっと長くなってもいい。歌い出しのタイミング逃しても文句なんかない。そのリアクションを愛でてあげなきゃ…
そんな気にさせてしまうのはある種の才能だろうか。ちょっと方向性を間違えれば悪女にもなるが、生憎そんな雰囲気は(少なくともファンには)伝わってこないどころか、あまり意識してない気もする。
そこが魅力なんだろうなぁ、と思うがどうだろう。
いやはや何ともまとまりのない文章ですが、今回はこれにて。