6月7日、豊崎愛生さん8枚目のシングル「フリップ フロップ」の発売を記念したリリースイベントの第2部に参加してきました。
所謂「都内某所」で行われる各回定員200名のアレです。
今までスフィアや他のメンバーのCDが発売された時、何度となく申し込むも跳ね返され続けた「各回定員200名」と「週末開催」という壁を乗り越え、奇跡的に参加することができました。
今回せっかくこうしてイベントに参加できるということで、内容をメモってみようかと思ったのですが、諸々の事情によりそれが叶わず、結局記憶を頼りに駄文を書き連ねております。
詳しくはいつもお世話になっておりますお二方のブログを参照していただければ1部、2部とも補完ができますので。
「すふぃおん!日記かな」様 (第1部)
http://ameblo.jp/changethehero/entry-11547502025.html
「もう、そうするしかない」様 (第2部)
http://d.hatena.ne.jp/kero_p/20130607/1370664160
さて、これでレポートという意味ではやれるべきことはやった。
自分より詳しく書いてくださってる方々がいらっしゃいますのでね、あとはもう個人的にひっかかったところとかを蛇足的かつ重箱の隅をつつく的に補足したらいいんじゃないかな、なんて。
この手のリリイベ、何と言ってもその魅力は「距離感」だと思います。愛生ちゃん曰く「この距離感が得意」とのこと。
常々思っておりましたが、豊崎愛生が単独でコンサートをする場合、会場の規模としてはあまり大きいところは似合わないと言うか、魅力を最大限に堪能できないのではないかと。
個人名義の楽曲はどれも数千人を盛り上げるタイプの曲ではなく、いつもご本人が仰っておられる「あなたに話しかけるような」タイプが多いので、自然とそうなるのかなと思います。
願わくば豊崎愛生のソロコンサートツアーは数百人規模の会場で、ほぼ着席して聴くような、サイリウムなんかも振らずに聴き入るようなスタンスでやっていただきたい。
豊崎愛生と言えば「ほっこり」というイメージを持つ人も多いと思う。それは公に出る時だけなのか、それとも素なのかわかりませんが、少なくともファンはそういうイメージを持っている。
なぜそうなのかと問われると、私は「笑っているから」だと思います。
彼女は「何もないところで笑う」。
この日のトーク中もそうですが、話と話の間で不意に笑い出すことがしばしば。
だいたいが何かを思いついた時とかに「ぐふふ」ないし「うふふ」的に笑い出すのですが、彼女のそういう仕草を見るとこちらも顔がほころぶ。転じて「ほっこり」となる。
余談ですが、「豊崎愛生のおかえりらじお」のジングルの中では、酔っぱらった風の愛生ちゃんが言う、
「とよさきあきのぉ~ おかえりらじおぉ~ ぐぅふぅふぅふぅふぅ」ってやつが1番好きです。伝わりますでしょうか。
閑話休題。
この日の愛生ちゃん動きも見どころでした。
「フリップ フロップ」のジャケット撮影話のとき、初回限定版のポーズを実演してくれたのですが、その際に檀上にあった水を置く台を少しずらしてその上に腰かけたのです。台をずらす時に引きずった為に「ギギギギギ…」と雑音が発したのですが、そこですかさず「ウソップノイーズ!」と展開したのは流石。
今回は「フリップ フロップ」と「さすらいの迷える仔猫」を唄ったのですが、その時のマイクコードを束ねて持つ姿になぜか「ああ、やっぱそうだよね」と思ってしまった。恐らくスフィアの他のメンバーはそういう持ち方しないと思うんですよね。
一昔前は今みたいにコードレスなマイクではなく、長いマイクコードが伸びているのが普通だった訳ですが、愛生ちゃんは60~70年代の音楽が好きだったりするので当時のステージへの憧れとか影響とかあったりするのかなーと、1人妄想しておりました。
上の方でご紹介させていただいてるブログ「もう、そうするしかない」様の結びの一文にはこう書いてあります。
「まるで聖母のようであった」と。
この表現はまさに「我が意を得たり」ってなモノでして、もともと包容力のある人だなぁと思っていたのですが、デビュー当初から年月を経て、最近はより一層そう思います。スフィアの中では平成組2人と箱入り娘1人(最年長)をやさしく包む、見守るような立ち位置なので母性が磨かれているのだろうか。
そんな彼女に「おかえり」と言われれば、「ただいま」と言わずにはいられない。
そんな彼女がふわっと笑えば、思わずほっこりと笑顔になってしまう。
そんな彼女の音楽には、温もりと幸せが詰まってる。