日本人で最後の軍師と呼べれるのは、松平信綱が最後でしょう。
将軍家光に諫言出来た数少ない家臣です。
参謀と軍師の違いはそこですね。
軍師は直接君主に意見を述べて作戦立案が変更できますが、参謀は1人でそこまで出来ません。
松平信綱が、将軍家光の補佐をしながら江戸幕府を作ったと言っても過言ではないでしょう。
人の好き嫌いの激しい家光と諸大名や御三家との仲介をしたり、島原の乱の平定に赴いたりしました。
知恵伊豆と言われた切れ者です。
大老の酒井や土井に配慮しつつも阿部豊後などの老中仲間で政治を取り仕切りました。
私が松平信綱に感じる疑問は、何故鎖国をさせたかですね。
先見性のある信綱ですからあきらかにマイナスは分かっていたでしょう。
信綱は、リアリズムでしたね。
家光が死去した時に、殉死しないで不評を買いましたが、幼君家綱を守り立てる事の重要さを理解していました。
これ以降、信綱を凌ぐ老中は現れませんでした。
将軍にイエスマンしかいなかったですし、もしくは将軍が飾り者でしたから。
最高のタイミングで、最高の老中がいたのが江戸幕府のラッキーでしたね。