本当に久しぶりに書く日記です。
いろいろ有りすぎた1ヶ月でした。
事の始めは、昌昭さんが中央高速のサービスエリアで脳梗塞で倒れた事でした。午後2時頃に社長室に呼ばれました。
有記君、大変だよ分家の若が、昌昭さんが倒れたんだ。隣の市立病院に搬送されたと今連絡が来たから急いで行こう。
社長に言われて急いで階段を降りている時に、急に目眩がして階段から転倒してお腹を痛打してしまいました。
急いで救急車が呼ばれましたが、流産してしまいました。
私と昌昭さんの愛の結晶をこんな形で喪うとは思ってもいませんでした。
私は別の病院に入院しました。
昌昭さんは、左半身不随と言語障害と記憶を喪失していました。
家族以外の面会は禁止されていました。
私は、1ヶ月で退院しました。
医者は、まだ早いかもしれないと言いましたが、昌昭さんに逢いたい気持ちと謝りたい気持ちを抑えきれませんでした。
私の退院した事を祖父が昌昭さんの家に電話で伝えました。
まだ出勤はしないでいたら、社長と政宗さんと昌昭さんの御父様が我が家に来ました。
社長は、会社での事故だから労災申請するから、ゆっくり復活して欲しいと言ってくれました。
政宗さんと昌昭さんの御父様は、婚約をどうするかを聞きに来たようでした。
昌昭さんは、生きているんですよね。
例えどんな身体になっても私の夫は昌昭さんしかいません。
どうか私を昌昭さんに合わせて下さい。
ありがとう、有記。
政宗さんが珍しく頭を下げて言いました。
正直言って婚約解消を覚悟して来たんだよ。
合いたいなら一緒に病院に行ってくれるか?
有記さん、昌昭がどんな状態でも驚かないで下さいね。
昌昭さんの御父さんに言われました。
私は、政宗さん、昌昭さんの御父様と三人で昌昭さんの入院している病院に行きました。
個室には、昌昭さんが昌昭さんのお母様と一緒にアルバムを見ている最中でした。
私が部屋に入りました。
点滴をしたままで何かを言おうとしていました。
お母様が、昌昭分かるかい有記さんだよ。
写真が丁度、私と昌昭さんと政宗さん、優美さんのページでした。
昌昭さんは、ゆっくりとした口調で、お母さん有記と2人にしてくれ。
そう言いました。
昌昭が喋った。
お母様は驚いていました。1ヶ月間意識は戻っても会話が出来ない状態だったそうです。
私と昌昭さんは2人きりになりました。
私は昌昭さんの胸もとに顔を埋めて泣きました。
昌昭さん、心配したんだからね。
私の夫は昌昭さんしかいないんだからね。
不自由な左手で、私の頭を撫でてくれました。
顔を上げて昌昭さんを見たら、泣いていました。
有記、逢いたかったよ。
私も逢いたかった。
1ヶ月ぶりにしたキスは、生きている実感を感じました。
本当に苦しい時でした。
有記が私を見棄てる可能性もあるかと覚悟はしていました。
丁度有記の話をしていた時に来ました。
今の私があるのは有記のおかげです。
地獄のリハビリに耐えてこれたのも、有記が私を励ましてくれたからです。
あと一話で話を中断します。
長い五年間の始まりでした。
いろいろ有りすぎた1ヶ月でした。
事の始めは、昌昭さんが中央高速のサービスエリアで脳梗塞で倒れた事でした。午後2時頃に社長室に呼ばれました。
有記君、大変だよ分家の若が、昌昭さんが倒れたんだ。隣の市立病院に搬送されたと今連絡が来たから急いで行こう。
社長に言われて急いで階段を降りている時に、急に目眩がして階段から転倒してお腹を痛打してしまいました。
急いで救急車が呼ばれましたが、流産してしまいました。
私と昌昭さんの愛の結晶をこんな形で喪うとは思ってもいませんでした。
私は別の病院に入院しました。
昌昭さんは、左半身不随と言語障害と記憶を喪失していました。
家族以外の面会は禁止されていました。
私は、1ヶ月で退院しました。
医者は、まだ早いかもしれないと言いましたが、昌昭さんに逢いたい気持ちと謝りたい気持ちを抑えきれませんでした。
私の退院した事を祖父が昌昭さんの家に電話で伝えました。
まだ出勤はしないでいたら、社長と政宗さんと昌昭さんの御父様が我が家に来ました。
社長は、会社での事故だから労災申請するから、ゆっくり復活して欲しいと言ってくれました。
政宗さんと昌昭さんの御父様は、婚約をどうするかを聞きに来たようでした。
昌昭さんは、生きているんですよね。
例えどんな身体になっても私の夫は昌昭さんしかいません。
どうか私を昌昭さんに合わせて下さい。
ありがとう、有記。
政宗さんが珍しく頭を下げて言いました。
正直言って婚約解消を覚悟して来たんだよ。
合いたいなら一緒に病院に行ってくれるか?
有記さん、昌昭がどんな状態でも驚かないで下さいね。
昌昭さんの御父さんに言われました。
私は、政宗さん、昌昭さんの御父様と三人で昌昭さんの入院している病院に行きました。
個室には、昌昭さんが昌昭さんのお母様と一緒にアルバムを見ている最中でした。
私が部屋に入りました。
点滴をしたままで何かを言おうとしていました。
お母様が、昌昭分かるかい有記さんだよ。
写真が丁度、私と昌昭さんと政宗さん、優美さんのページでした。
昌昭さんは、ゆっくりとした口調で、お母さん有記と2人にしてくれ。
そう言いました。
昌昭が喋った。
お母様は驚いていました。1ヶ月間意識は戻っても会話が出来ない状態だったそうです。
私と昌昭さんは2人きりになりました。
私は昌昭さんの胸もとに顔を埋めて泣きました。
昌昭さん、心配したんだからね。
私の夫は昌昭さんしかいないんだからね。
不自由な左手で、私の頭を撫でてくれました。
顔を上げて昌昭さんを見たら、泣いていました。
有記、逢いたかったよ。
私も逢いたかった。
1ヶ月ぶりにしたキスは、生きている実感を感じました。
本当に苦しい時でした。
有記が私を見棄てる可能性もあるかと覚悟はしていました。
丁度有記の話をしていた時に来ました。
今の私があるのは有記のおかげです。
地獄のリハビリに耐えてこれたのも、有記が私を励ましてくれたからです。
あと一話で話を中断します。
長い五年間の始まりでした。