私が入院していた病院は、帝国陸軍の結核患者のサナトリウムでした。
戦後、結核患者が減ったから内科と外科と小児内科の患者が入院して、病院の上に、喘息と腎臓病の子供が通う養護学校が出来ました。
しかし、結核患者の療養所だった場所ですから、民家や繁華街からは隔離されていました。
空気は綺麗でしたし、景色も綺麗でしたが、ホームシックにかかる人も多かったです。
この病院は、最大で12病棟までありました。
私や政宗さんが入った時には、8病棟に減っていましたが、まだ昔の病棟は残っていました。
時折、不気味な雰囲気を醸し出す病棟でした。
夜中に不気味な動物の鳴き声が聞こえる事もありました。
夏休みになると、学校には自習に行くだけになります。
私が入った当時は中等部はバレーボール部はまだ無くて、高等部だけでした。
私も、たまに練習に参加していました。
ある時、練習の帰り道に狸が道端で跳ねられて死んでいました。
政宗さんが、信光さんに命じて、昔の病棟の方に投げてしまいました。
その事は、直ぐに忘れて病棟に戻りました。
私は、小児病棟に戻りましたが、政宗さんと利光さんは成人病棟に戻りました。その日の夜も不気味な音がしていました。
私はベランダで音のする方角を見ました。
昼間、狸を投げた辺りでした。
私は部屋にいました。
小児病棟は、学校から帰って来たら病棟から出られません。
しかし、政宗さん達成人病棟は病院と学校から出なければ自由に動けます。
好奇心旺盛な2人が動かない訳が有りませんでした。政宗さんと利光さんは、塩と守り刀を持って出かけたそうです。
音がする方に明かりを照らした瞬間、見たな。
口の周りを真っ赤にした男がいました。
こいつは、結核患者の親父じゃないか。
政宗さん達が帰ろうとしたら、後ろから襲いかかって来ました。
政宗さんが峰打ちで叩いたら、身体がボロボロに崩れ落ちました。
政宗さんと利光さんは驚いて病棟に帰りました。
この親父は、私や政宗さんが外泊している時に死亡していました。
ただ、身寄りがないから霊安室に遺骨があったらしいです。
狸の死骸を投げたのは、霊安室の直ぐ側でした。
後でその辺りを調べたら、猫や犬の死骸を食べた跡がありました。
毎晩聞こえた音は、動物の死骸を食べている音かもしれません。
戦後、結核患者が減ったから内科と外科と小児内科の患者が入院して、病院の上に、喘息と腎臓病の子供が通う養護学校が出来ました。
しかし、結核患者の療養所だった場所ですから、民家や繁華街からは隔離されていました。
空気は綺麗でしたし、景色も綺麗でしたが、ホームシックにかかる人も多かったです。
この病院は、最大で12病棟までありました。
私や政宗さんが入った時には、8病棟に減っていましたが、まだ昔の病棟は残っていました。
時折、不気味な雰囲気を醸し出す病棟でした。
夜中に不気味な動物の鳴き声が聞こえる事もありました。
夏休みになると、学校には自習に行くだけになります。
私が入った当時は中等部はバレーボール部はまだ無くて、高等部だけでした。
私も、たまに練習に参加していました。
ある時、練習の帰り道に狸が道端で跳ねられて死んでいました。
政宗さんが、信光さんに命じて、昔の病棟の方に投げてしまいました。
その事は、直ぐに忘れて病棟に戻りました。
私は、小児病棟に戻りましたが、政宗さんと利光さんは成人病棟に戻りました。その日の夜も不気味な音がしていました。
私はベランダで音のする方角を見ました。
昼間、狸を投げた辺りでした。
私は部屋にいました。
小児病棟は、学校から帰って来たら病棟から出られません。
しかし、政宗さん達成人病棟は病院と学校から出なければ自由に動けます。
好奇心旺盛な2人が動かない訳が有りませんでした。政宗さんと利光さんは、塩と守り刀を持って出かけたそうです。
音がする方に明かりを照らした瞬間、見たな。
口の周りを真っ赤にした男がいました。
こいつは、結核患者の親父じゃないか。
政宗さん達が帰ろうとしたら、後ろから襲いかかって来ました。
政宗さんが峰打ちで叩いたら、身体がボロボロに崩れ落ちました。
政宗さんと利光さんは驚いて病棟に帰りました。
この親父は、私や政宗さんが外泊している時に死亡していました。
ただ、身寄りがないから霊安室に遺骨があったらしいです。
狸の死骸を投げたのは、霊安室の直ぐ側でした。
後でその辺りを調べたら、猫や犬の死骸を食べた跡がありました。
毎晩聞こえた音は、動物の死骸を食べている音かもしれません。