有記編20に書きましたが、昔、政宗さんは鎌倉で肝試しをやりました。
その場所は、とんねるずがロケをやって本物が出た場所として有名な場所でした。
本来なら、私も一緒に行く予定でしたが、当日に風邪を拗らせて喘息の発作が10年振りに出て、病院で点滴を射たれていました。
結局、車三台で政宗さん、信光さん以下8人で行きました。
あの頃の政宗さんは、無鉄砲でしたから、結構無茶苦茶な事をしていました。
日本人は本来、好戦的な民族です。
中でも、鎌倉時代の御家人達は、鎌倉武士と言うプライドが有りました。
楠木正成が後醍醐天皇に、武力だけなら、相模、武蔵、伊豆の兵士には勝てないから、知略で勝つしかないと言っていたほどでした。日本人の戦闘で、一番死闘を繰り広げたのは、新田義貞の鎌倉攻めです。
お互いに相模、武蔵、伊豆の兵士がいて、まさに死闘と言える激戦でした。
北条一族最後の闘いは、凄まじい死闘でした。
しかも、その後にちゃんと供養されていませんでした。
死体を適当に集めて埋めただけらしかったです。
それから月日がながれて、その下をトンネルができました。
出来た当時から、お化けが出ると言われていました。そんな場所に、とんねるずがロケをやりました。
野次馬が沢山集まって撮影を中止したと伝えられていますが、カメラがちゃんと撮影出来なかったらしい。スタッフが大怪我したらしいと言われていました。
野次馬の1人に、政宗さんの知り合いがいました。
その人から、場所を聞いて出かけて行きました。
深夜2時に、トンネルの中に入って行きました。
最初は威勢の良かった面々も真ん中辺りで、甲冑を着た武者の霊に囲まれたんです。
塩を掛けろ。
政宗さんの号令一下、浄めの塩を掛けて、走って逃げました。
その中で、2人が転倒して逃げ遅れました。
トンネルから、命からがら逃げて来ると、宗家と丹沢大僧正が怖い顔して政宗さんを待っていました。
この愚か者。
大僧正が政宗さんを殴りました。
宗家と大僧正は、トンネルに入って行きました。
物凄い光が見えました。
2人を背負って、宗家と大僧正が出て来ました。
しかし、2人共に精神的にダメージが酷い状態でした。
近くの精神科に入院しました。
政宗さんと一行は暫くは大僧正の寺でみっちり絞られました。
滝業、山伏修行などをやりました。
遊び半分で、霊をからかうとどうなるか?
大僧正に教えられました。命があっただけ良かったと思え。
これに懲りて、下らぬ事はするなよ。
これ以後、私達は肝試しをしていません。
下手にやると、自分だけでなく、家族や友人が巻き込まれます。
悪霊は、貴方の背中に憑いて家まで来る事もあるんですよ。