今日は、有記の命日です。あれから丸三年の月日が流れました。
あの悲劇はまだ瞼に焼き付いています。
救急車の中に載せるまで、有記は私の腕の中にいました。
ダンプに跳ねられて、全身打撲が死因でした。
お腹には、子供もいました。
あと数ヶ月で産まれてくるはずだった、待望の子供でした。
結婚式はまだでしたが、同棲していて夫婦同然の生活をしていました。
寂しいと言う言葉では足りない寂寥感に苛まれました。
有記がいたから、今の私があるんです。
脳梗塞で倒れた私に力をくれたのは有記でした。
半身不随になり、記憶を喪った私に、着きっきりで看病とリハビリに付き合ってくれました。
筆舌では尽くせない苦しいリハビリに耐えてこれたのは、有記の優しい思い遣りと笑顔と私の性格を理解した励まし方でした。
私が挫けそうになると有記は、私の昌昭さんが挫けるわけないもんね。
負けず嫌いの私に、一番効果のある言葉でした。
仕事を辞めてまで私のリハビリに付き合ってくれた有記。
退院した後、2人で暮らしていた時にも泣き言は一言もいいませんでした。
二年間でやっと社会復帰の目処が立ちました。
キャディになるか、ガソリンスタンドに復帰するか悩んだ時に、芝生を歩いて元気になって欲しいな。
有記が意見をしたのはこの一度だけでした。
一時的に収入が途絶えた時に、有記のお祖父さんに援助してもらっていた事を後で知りました。
私の身体で、最後まで回復が遅れたのは局部でした。バイアグラを投与するか悩みましたが、有記は子供はどんな事をしても欲しいな。
それに、私と昌昭さんの子供には変わりないもんね。久しぶりに熱い夜にしましょう。
この一言で、私は救われました。
バイアグラを使ってのエッチを数回したら、段々機能が回復して来ました。
2人でお風呂に入っていたら、ある時ちゃんと隆起しました。
有記、復活したぞ。
良かったね昌昭さん。
有記、全てお前のおかげだよ。
こうして絆は深く強い物ができました。
苦難を一緒に乗り越えた女房でした。
こんな女性に、もう一度巡り会えるとは思えません。