家康、倒れる。
このニュースは全国に衝撃を与えた。
全国の大名達が駿府に駆け付けた。
中でも、将軍秀忠は素早い行動で、駆け付けた。
家康は、秀忠に言った。
今回の素早い行動で、関ヶ原の遅参は許してやる。
そなたも真田伊豆を憎むのはよせ。
伊豆の智謀は、父親以上じゃ。
奴には、御三家と伊達がつるんでいる。
そなたが取り潰しを命じれば、武家諸法度の権限で、頼房が、そなたに隠居、遠島をさせるぞ。
水戸は、将軍には成れぬが将軍を朝廷に推薦し、将軍が過ちを犯した時には、隠居させる権限を与えてある。
その会話を柳生宗矩が聴いていました。
その数日後、家康は病床に駿府に来ている大名全てを呼んだ。
儂は、もうじき死ぬであろう。
もし、天下に不満があればいつでも、謀反を起こせば良い。
恨みには思わぬぞ。
恫喝して、死んでいく男、まさに、戦国を生き抜いた男の最後の言葉であった。