秋田県の研修は、出世の為には、誰しも通る通過点です。
寒い場所のトラックステーションで、トラックのオイル交換やタイヤ交換、寒冷地の灯油配達などを経験するために、2週間行きました。
毎晩、定時に雪乃には電話していましたが、患者のインフルエンザが移って入院しました。
私が行って一週間の出来事でした。
私は、酷くなるなど露ほど思っていませんでしたが、実際には、肺炎を併発して危篤に近い状態でした。
この頃、雪乃はダイエットをしていました。
私は、しなくても良いよと言ったのに、綺麗なプロポーションになりたいと言って無理なダイエットをして抵抗力が落ちていました。昌昭さんに、もう一度逢いたい。
その一念で雪乃は頑張っていました。
研修が終わり、秋田空港から飛行機で東京に帰ろうとしたら、雪で足止めをくらいました。
私が、明日になりそうだと実家に電話をしたら、始めて、雪乃の状態を知らされました。
しかし、飛行機以外には、電車も、道路も通行止めです。
翌朝飛行機に載った頃、恐れていた事が起こってしまいました。
数年ぶりに、雪乃が喘息の発作が起きてしまいました。
いろいろな手段を講じました。
なかなか発作が治まりませんでした。
私が飛行機から降りて、新幹線で三島に着いた頃、雪乃は、心筋梗塞を併発してしまい、息を引き取りました。
あと一時間、私が早く病院に着けば雪乃に会えた。
雪乃の死体と対面しました。
こんなに窶れて、何故余計なダイエットなんかしたんだ。
もっと強く言えば良かった。
後悔の涙で池ができました。
涙が枯れるまで泣け、昌昭。
政宗さんが、涙を流していました。
雪乃は、お前の帰りを待っていたよ。
今日は泣きたいだけ泣け、しかし、明日からは泣くなよ。
雪乃はもう帰ってこないんだよ。
遺体は、大久保の家に送られました。
死に化粧は、私がやりました。
死に装束の下着は、私が贈った赤い下着をつけました。
雪乃の遺言書がありました。
死ぬ2日前に、鏡に自分の姿が写らなかった時に死を悟ったと書いてありました。
唯一の無念は、私に会えなかった事だと書いてありました。
私に出会い、愛されて幸福だったと、今度は健康な身体で産まれたい。
それが雪乃の遺言でした。

プロの小説家のチエコ様
レースクイーンの嶋田なな様
アメンバーのアニー様と
美希様。
その他多くの方。
コメントありがとうございました。
これで、本編は終了します。
あとがきを持って脱稿とします。