淀殿の葬儀の翌日、幸村は新妻の安芸を伴って、大阪の上杉屋敷に、景勝と兼続を訪ねた。
普段、無口な景勝だが、
幸村と前田慶次にだけは、普通に会話した。
上杉屋敷の客室で、幸村、安芸、兼続、景勝の四名がいた。
幸村よ、左衛門督任官と、花嫁を得るとは、果報者だな。
景勝は、そういいながら、酒を飲んだ。
そう言えば、安芸殿は、失礼ながら、醜女と言う評判でしたが、実際にあうと、美人ですね。
真田殿は、噂を信じていなかったのですか?
兼続が聞くと。
孔明と月英の故知を知っていました。
醜女なら、噂を隠すはずなのに、寧ろ周智の事実になっているのはおかしい。
父の刑部殿は、若い頃
美男子で有名でした。
だから、嫁に貰いました。幸村がそう答えると、
景勝が、流石に幸村。
しかし、本当に醜女だったらどうした?
そう言われた幸村は、笑って答えた。
大谷刑部殿の娘なら、気立ての優れた娘でしょう。
武家のしきたりなど弁えた振る舞いが出来るでしょう。
顔は、二の次で選びました。
その後も、若い夫婦のなれそめ話に花が咲いていたが、兼続が口調を変えて、
葬儀の話題になった。