豊臣秀吉が精魂こめて建てた伏見城。
この日は、秀吉のお気に入りの側近で、新陰流免許皆伝の腕前を持つ美男子、
真田幸村と、同じく秀吉のお気に入りで五奉行の一人、大谷吉継の娘、安芸の結婚式であった。
いくら、秀吉の、お声がかりとはいえ、吉継の娘は、醜女で有名であった。
しかし、幸村は、拒まなかった。
醜女の噂は、逆であろう。本当に醜女なら、噂は立たないようにするはずだから。
そして、結婚式の当日、
参列者は、おどろいた。
新郎の幸村の美男子は、有名だが、新婦は、噂に反して、輝くばかりの美女であった。
この結婚式は、参列者も、豪華であった。
主賓は、秀吉、仲人は、上杉景勝、新婦側には、吉継の友人達、石田三成、小西行長、宇喜多秀家、佐竹義宣、毛利輝元などがいた。しかし、新郎側はさらに、凄かった。
幸村の兄、信幸の義父、
本多忠勝、養父の徳川家康、秀吉の仲立ちで、義兄弟の伊達政宗、結城秀康、前田慶治などがいた。
酒宴は、盛り上がり、お祝い品も山と積まれた。
宴会の最後に秀吉が三成を呼んで、一枚の紙を渡した。
三成は、一読すると、微笑んだ。
そして、大声で言った。
太閤様から、新郎へ引き出物である。
真田幸村を従五位左兵衛佐に任じる。
一同から歓声が上がった。さらに、宴会は、盛り上がってしまった。