今日は、言葉というものについて、私が思っていることを書きたいと思います。

 

国語の成績は気にしなくていい

 

今でこそ、こうして短歌を詠み、ブログを書いていますが、中学生の頃なんかは「自分は国語が苦手なんだ」と思いこんでいました。

 

これは、実際に国語が得意でなかったということと、国語の教師との相性も良くなかったことによります。

 

中学に入学して早々、短歌を創作するという課題が出て、なんとか期限までに提出したものの、その課題をいくつか国語の教師が読み上げ、批評するということになりました。

 

果たして、私の短歌が読み上げられ、「なんだこれ」といわれてしまいました。なれない中で頑張っていこうと思っていたのですが、しょっぱなからこれですよ。トラウマですよね。

 

それから10年も経った、一年前、何気なく短歌をつくったら、楽しくなってしまって、作歌に夢中になり、今に至ります。

 

言葉の神様はやっと僕に微笑んでくれたのでした。

 

今から思えば、恥をかいたから、国語の点数が悪いから、国語ができないとは限らない。些細な事で、自分の可能性を閉ざしてしまうのはもったいないと思います。

 

国語の点数だって、学校の試験は、記憶して、その場で考えて、文章を作らなければいけない。でも、記憶が苦手だったら、試験で頭が真っ白になってしまったら、良い点数は取れませんよね。

 

体調が少し悪いだけで、言葉が乱れたりするように、言語機能というのは脳の様々な部分を協調させる必要がある非常に繊細なものです。それを、試験という特異な緊張下で、一面的に評価すると、正しく評価できないこともあるのではないか。

 

ですから、国語の点数をそのまま、自分の国語力だ、とする必要はないと思います。

 

(もちろん、国語教育の必要性は認識しており、その恩恵を十分に受けた身として感謝もしているのですが。)

 

 

言葉を好きになって、良かったことがあります。それは、言葉を愛する人のコミュニティは、受容的で温かい雰囲気であること。その中では、すごく安心できるんですよね。

 

このような良い所、価値を私も大切にしていきたいと思います。

 

 

言葉に関する短歌を詠んで終わりたいと思います。

 

 

我が首を かつては絞めた 言の葉に

 

思いを乗せて さあ解き放て

 

 

壮麗な 景色を見れば 瞬く間

 

言葉は羽を 広げ飛び立つ

 

 

いにしえの 文に眠りし 文体は

 

時空を超えて 今よみがえる

 

 

一言で 少し分かった 気がしたよ

 

これも言葉の お陰なんだね

 

 

求めても 希望の見える 当てもなし

 

只言の葉の 海に浴(あゆみ)す  (コロナ禍の日々の中で)

 

 

言の葉の 重さは変わる ことを知る

 

今はあふれる 思いを込めて

 

 

終わり

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

これからも楽しく短歌をつくるための情報を、随時更新していきますのでよろしくお願いします。