言葉は生まれ、うつろい、そして消えていゆく。そんな中でも私たちはおしなべてあるものに美しく、洗練されたものを前にした時の衝撃と感銘を覚える。それは古典だ。

 

方丈記の

 

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

 

とか

 

平家物語の

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

 

などは目で追って、耳で聞いて、心躍り、何か崇高なものに接近するかのような心の高揚を感じる。

 

まだ言葉が、複雑な事象を細かく表現するという重荷を負わされる前。言葉は純粋に心を、情景を、言葉の響きを美しく表現するためのものであり得た。

 

そして澄んだ空が、凪ぐ海が、舞う木の葉が私たちの心をとらえるように、古典は、現代語がよって立っている、その本質的でそして無垢な美しさが私たちの心をとらえるのであろう。

 

「具体的に言えば、文章の格調と気品とは、あくまで古典的教養から生まれるものであります」(三島由紀夫)。

 

では、古典に学んで短歌を作るにはどうすればよいか。

 

それには主に次の3つを守るようにする。

 

①言葉をまねる

 

②視点をまねる

 

③型をまねる

 

まず①の「言葉をまねる」から

 

これは要するに現代語を古語に言い換えるということだ。そのために古文に触れる。

 

例えば、

 

たくさん→あまた  一日中→ひねもす  昔→いにしえ

 

また、和語と漢語の区別も大切。

 

例えば、白雲は和語では「しらぐも」、漢語では「はくうん」。大分印象が変わる。総じて、和語の方がやさしい印象を受け、漢語は洗練されつつも冷たい印象を受ける。

 

抽象的な言葉を使わないことも大切。

 

例えば、

 

み吉野の 秋すさまじき 夕暮れは

 

すず吹く峯に あらし立つなり    定家

 

(情景美の表現には具体的な言葉が適している。)

 

言葉の一つをとれば、「の」を「が」と言い換えたほうがきれいな場合がある。

 

例えば

 

「誰ため」を「誰(た)ために」

 

とするとか

 

「梅枝を」は「梅枝(え)を」

 

とするなど

 

古典的な和歌集から直接学べば、使う場面も間違えないので良いが、いろは歌や徒然草などを暗唱するのも古典的語学力を高めるための一つのアプローチだ。

 

例えばいろは歌の冒頭

 

いろはにほへとちりぬるを

 

(色はに匂えど散りぬるを)

 

から、匂え(已然形)+ど→匂うけれども

 

と活用形や意味を理解し、表現することができる。

 

このような文から部分的に拝借して歌を作るのもよい。↓

 

赤や黄の 木の葉に年の 思い乗せ

 

散りぬるを見む 秋は思い出    つかや

 

 

戦中戦後生まれの文筆家の本からも学ぶことができる(それ以前になると、私には難解すぎる)。少し前だと宮崎市定、それから高坂正堯の本からは整った格調の高い文章を学ぶことができる。

 

また、歌から学ぶのも一つ。童謡自体にこどもの母語学習を助ける役割があるが、子供でなくても有効である。例えばいきものがかりは、古語の入ったうたを歌うが、他にもいると思う。(外国語もその国の流行歌の暗唱によってマスターする人は多い。)

 

次は②の「視点をまねる」

 

日本語的視点とは、日本人的世界の見方であり、そのまま日本語の特徴でもある。

 

それは、自分を中心に、外の世界を眺め、その景色と心の移り変わりを表現するというもの。

 

国文学者の時枝誠記によると、

 

英語が、「主語→述語(誰が~をした)」という主語と述語がセットの構造だとすると、

 

日本語は、「(外の世界は)~のように変化し、(心の中で)~思った。」という、主体から見た客体(周りの世界)の変化を表す構造。

 

日本語では主体から見た世界を表現するため、主語が自明のこととして省略される。そして、「周りの世界がどのように変化したか」、つまり動詞が多い。実際、主語の省略と動詞を多く用いることは短歌においても大切になる。

 

私もこれを知って、短歌を作るのが大分楽になった。

 

これを守らないと、

 

シャボン玉 風に吹かれて 迫り来て

 

かかることさえ 楽しめぬ世を   つかや

 

 

世はコロナ 風に乗りくる シャボン玉

 

楽しめざりて 我は悲しき

 

となる。先の歌の方がスマートだと思うがどうだろう。

 

 

 

次は③の「型をまねる」

 

これは古典的な短歌の形式をまねるということである。

 

例えば、古典的な短歌の中では今ではあまりよくないとされる助詞の「の」を続けて用いることが結構多い。

 

ながめつつ いく年どし 秋

 

あらましかばの なきぞ多かる

 

(ましかば:枯れ葉)

 

 

秋の月を眺めて幾年経っただろう。生きていたらなあと思う人で鬼籍に入った人は多い。

 

(「藤原定家全歌集 下 久保田淳 ちくま学芸文庫」より訳を引用)

 

他にも

 

上の句の最終節が名詞のみ(上の例も当てはまる)や名詞+助詞で終わる短歌は多い。

 

図解

〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇 名詞(+助詞)/

〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇

 

また、上の句の最後を「まで」や「ては」、「れば」にすると整った短歌になる。「たら」や「ので」などの言葉は現代語の、しかも話し言葉に近く、「れば」や「なら」に置き換えたほうがスマートになる。

 

図解

〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇までorてはorれば/

〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇

 

日は暮れて 眼鏡も家に 忘れては

 

闇に紛れし 人に怯えり       つかや

 

この「ては」は例えば「しに」とするよりスマートではないか。

 

他にも、歌集を読んでいると、確かに、用いる言葉や形式に似通ったものがあることがわかる。美しいと感じる短歌を並べて、その共通点を見つけるというのは、技法を学ぶのとはまた別の、短歌上達のための一つの方法だと思う。

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今後とも、更新してまいりますのでよろしくお願いします。