初音さんというのはウチの父方の祖母でございます。

父は7人兄弟の末っ子で戦後の生まれですが
一番上のお兄さんは父より15歳年上でバリバリ戦時中の生まれでした。
父が生まれる前に兄さん2人が栄養失調で他界してたそうです。
今もお墓に行くと刻まれている名前には享年2歳と書かれてます。

父もすぐ上の叔父も名前でしか知らない兄弟です。


なんでこんな事書いてるかというと
もうすぐ原爆記念日なのです。

良い意味でも否定的な意味でも「広島市の年間行事のメインイベント」です。

今まで原爆記念日とか戦争を特に意識した事ありません。

今年は何故か思ったんですよねー。
心境の変化なのか。
原爆を題材にした映画のプロモーションを度々目にするせいなのか。
「菊次郎とさき」を見たせいなのか。


父の実家は呉市という戦艦大和がいた港の土地です。
仁義なき戦いの舞台でもあったらしいです。
当時は海軍で栄えてたらしい。

想像の範疇でも物資や食料が足りなくて
子供2人を失って男の子5人を育て上げた祖母はすごいと思う。

祖父は戦争で片目を失ってて無口で子供心に怖かった。
反面、祖母は優しかった。
でも躾にはえらく厳しかった。

そんな祖母がなくなった時は大きなお寺で執り行われた葬儀で弔問客が門の外まで並んでた。
土地に根付いて何十年も商売やってるからそんなもんなのかもしれないけれど
弔問に訪れた見ず知らずの叔父さんが
「死んだ後でその人の徳が解るっているけど、初音さんは”人徳”を絵に描いたような人だったね」
と言ってたのを今も覚えてる。
当時12歳だった私が「徳」ってものを漠然と理解した瞬間だった。

何年かに一度お坊さんが来て説法をされるけれど
やはり同じ様な事を言われる。


そんな祖母が周囲の誰もが認めるほどに溺愛してたのは私だった。
自分の子供7人男の子が続いて
孫も私が生まれるまで男の子が続いて
やっと生まれた待望の女の子が私だったから。
だから私の名前も祖母が付けた。
母が目覚めるともう名前が付いてたらしい(笑)

そんな事を思う度にもうちょっと、ちゃんとした人間にならなくちゃなぁと思います。
神様が居るかどうか解らないけど
亡くなった人には確かに貰ったものがあるから。
受取ったモノを大事にしなくちゃいけないなぁ。

明日は3年前に他界した友人の命日です。
彼女からも貰ったものってきっと沢山あるなぁ。