今月で胃癌で全摘手術してから1年経ちます。
胃袋なくなって早1年ですか。はやいなー。

病気になって療養して復帰して・・・
そんな1年間でした。



ほんのちょっと人生観変わったかな。
年齢と経験からくるものなのか、大きな病気をしたせいなのか解りませんが自分の感情に素直になった気がする。
中々ね、自分の本音を受け入れる事ができない事ってあるじゃない(苦笑)
本心に気づいてるのに見ないフリして意地張ってみたりとか(^-^;

あれ、結構しんどいよねー、と今なら思う。


過ちは繰り返されるけど、過ちは許されるものでもある。
と思う。

今年の2月に
「悪性腫瘍ですよ。余命3年の覚悟して下さい」
って医者に言われた時は本当、仕事づけな日々だったので疲れていたのもあって
「もう十分生きたし、心残りないし死んでも良いや。」
と思ったのが本音。

「人生は死を待ちぼうけ」
とは大槻ケンヂ氏の歌詞ですが、マジそんな感じだったよ。

20代半ばまでで結構やり尽くした感はあったしね。
”享年がhideちゃんと同い年ならそれも良いなぁ”とかぼんやり考えたり。


で、いざ手術して退院して自宅療養となったのが4,5月頃。
体力もないし部屋に篭ってるくらいしかできない日々ですよ。
数年振りにのんびり。


自分の部屋って基本的に”自分の好きなモノ”で構築されてるでしょ?
特に私の場合は一人暮らし戻りなので家具も全て自分の好みで揃えてるのです。

本棚にある小説も漫画も写真集も画集も。

壁に飾ってあるポストカードも小物も。

CDだってビデオだって古いカセットテープも。

洋服もカーテンもクッションも。

自分の作った作品とかも。


今まで生きた中で出会った「好きなモノ」の集合体が自分の部屋だと思うの。
だから居心地が良いのかー、と変な納得をするお馬鹿さんな私。


そんな事考えながら整理してみると
結構、色んなものに出会って色んなものも気に入って買ったし
大事な人からプレゼントされた物だちとかが溢れていた。

すごい事だよ、、、。
この狭い部屋に自分の全てが詰まってる感じ。
脳内に近いんじゃない?
記憶に残しきれなくて形に残してる物もあるしね。



そんな事をぼんやり考えていたらもうちょっとだけ生きてみたくなってきたり。
20歳から30歳までの10年間でも結構な変化を遂げたのだから
次の10年間では自分がどんな変化や成長を遂げるのか見てみたくなったり。

自分が好きになった数々のモノをもう一度確認してみたくなったり。

退院後すぐにプラトゥリのライブが広島であったのも影響してるかなー。
多分、彼ら的にもインディー活動してメジャーで再始動っていう時期だったんだよね。(確か・・・)
MCの言葉ひとつひとつが響いてきて「絶望の丘」での会場のほんわか感に救われた。竜太郎さんの「これじゃ”絶望の丘”じゃなくて”幸福の丘”だ、、、。多幸感空間だ。」って言葉が忘れられない。

多幸感までいかなくても四葉のクローバー見つけた時みたいな”ちょっと幸せ感”ならあちこちに落っこちてるのかもしれない。
忙しくあくせくしてた自分が気づかなかっただけで実は今までもいっぱい落ちてたのかもしれない。

そんな事思ってたらSHAMEや筋少が復活したり。
TRANSTIC NERVEが10周年だったり。

ほーら、生きてたら良いことあったでしょ?って感じ(笑)
神様、ありがとう。

今まで厳しさしか感じなかった職場の人の優しい一面を見たり。
友人たちの優しさシャワーを一気に浴びてみたり(笑)

内臓一個失った等価交換としては上々なんじゃないかしら。
真理の扉はまだ開いてないけどヒントくらいは貰ったんじゃね?(笑)