小泉元首相がもたらしたもの | KNのブログ

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元記事1は、まだ影響力がある内に、息子に後を継がせようということだな。
「01年9月に起きた米同時テロを受け、自衛隊のインド洋派遣を決断した。03年3月のイラク戦争では米国を支持し、イラク復興支援のため自衛隊を派遣した。」
とあるが、 「9・11とオサマ・ビン・ラディンやアルカイダとは何の関係もなかったとアメリカのFBI自身が認めていることさえも伝えていないし、イラクのフセイン大統領(もう処刑されてしまいましたが?)が9・11事件に何ら関わっていなかった事実が明らかになった今でも、イラクは「対テロ戦争」の戦場にされています。そもそも、「対テロ戦争」の根拠とされる9・11事件になんの疑問も投げかけず、公式発表と対テロ戦争を支持し続けています。」ということがもし真実ならば、どのように修復の対応をするのか?

元記事2は、客観的な記事で、好感が持てる。


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元記事1=小泉元首相が引退へ、次期衆院選に出馬せず
2008年9月25日21時57分 読売新聞)

  http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080925-OYT1T00618.htm
 自民党の小泉純一郎元首相(66)は25日、神奈川県横須賀市で開かれた党支部役員会に出席し、次期衆院選に出馬しない意向を伝えた。

 27日に正式表明する。役員会の出席者によると小泉氏は「もう総理もやったので、十分だ」「国会議員を36年間務めて、役割は済んだ」などと述べた。後継については、二男で秘書の進次郎氏を挙げ、「自分も初出馬した時は27歳。進次郎も同じ27歳で(衆院選を)やれる」と話したという。森元首相によると、小泉氏は森氏に電話で「まだ政治活動はやめない。国会活動をしないだけだ」と述べたという。

 小泉氏は衆院神奈川11区選出で当選12回。2001年4月から06年9月まで約5年半にわたって首相を務め、戦後3番目の長期政権を維持した。

 小泉氏は「聖域なき構造改革」を掲げ、道路公団民営化や郵政事業民営化などを推進した。特に郵政民営化については、05年8月に参院で民営化法案が否決されると衆院を解散し、翌9月の衆院選で自民党を296議席獲得の大勝に導き、その余勢で同年10月に郵政民営化法を成立させた。

 外交では、01年9月に起きた米同時テロを受け、自衛隊のインド洋派遣を決断した。03年3月のイラク戦争では米国を支持し、イラク復興支援のため自衛隊を派遣した。ブッシュ米大統領と個人的な信頼関係を築き、在任中の日米関係は「戦後最良」とも評された。

 02年9月には、日本の首相として初めて北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談し、日朝平壌宣言に署名した。金総書記に日本人拉致事件を北朝鮮の犯行と認めさせ、拉致被害者5人の帰国を実現させた。04年5月にも再訪朝し、拉致被害者家族5人が帰国した。

 一方で、総裁選の公約に掲げて実行した計6回の靖国神社参拝は中国や韓国の強い反発を招き、両国との関係を冷却化させた。

 小泉氏は、森元首相の退陣に伴う01年4月の総裁選に抜本的な党改革を掲げて出馬。地方での党員投票で「小泉ブーム」を起こし、本命視された橋本竜太郎・元首相に圧勝した。

 首相退陣後は表舞台に出ることを控えていた。福田前首相の退陣に伴う今月22日の自民党総裁選では、麻生首相に敗れた小池百合子・元防衛相を支持した。


元記事2=小泉元首相:引退に「チルドレン」ショック隠せず
毎日新聞 2008年9月25日 21時00分(最終更新 9月25日 21時58分)
  http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080926k0000m010093000c.html
 「自民党をぶっつぶす」と叫び、歩道橋の上に聴衆が鈴なりになった総裁選から7年。小泉純一郎元首相(66)が25日、今期限りでの衆院議員引退を表明した。閉そくした国の構造を改革し、熱狂的な人気を博したが、一方で弱肉強食の社会と、その結果の「格差」をもたらした。元首相が残した光と影。その現場に置かれた人々は、引退をさまざまな思いで受け止めた。

 小泉元首相は25日午後7時から、地元・神奈川県横須賀市の事務所で、支持する県議らを集めて会合を開き、幹部に「(次男の)進次郎を後継にして自分は引退する」と明言した。会合の間はビル3階の事務所は施錠され、報道陣は閉め出された。同7時25分ごろ、事務所から出た元首相は車に乗り込み、報道陣から「引退するのですか」と問われると、うんうんと何度もうなずいた。

 元首相を支持し、05年の郵政選挙で初当選した「小泉チルドレン」たちは、突然の引退表明に驚きを隠せない様子だ。

 武部勤・元自民党幹事長の秘書から転身した篠田陽介衆院議員(比例東海)は「突然のことでびっくりしている。恩人であり、政治姿勢にも共鳴していたし、目標にしていた政治家だった。寂しいの一言だ。驚かされることの多い人だったが、最後まで驚かせる人ですね」と話した。

 04年の新潟県中越地震当時の旧山古志村長で、小泉氏に請われて出馬した長島忠美衆院議員は、県内を車で移動中に引退のニュースを聞いた。「随分唐突なところが小泉さんらしい。若手には影響力があるので残念だが、政治には潔さも必要。小泉チルドレンから自立して恩返しできれば」と語った。

 片山さつき衆院議員(49)は「まだ本人と話していない。今日は話す予定もなく、後にして下さい」とコメントを避けた。

 2回目の挑戦で初当選した愛知6区の丹羽秀樹衆院議員は「ショックだ。官から民へという小泉改革はまだ道半ばで、もう少し続けて欲しかった。郵政解散の時のような信念に向かって突き進んでいく姿が印象に残っている」と振り返った。

 一方、小泉改革で窮地に陥った人たちの見解は辛らつだ。

 公共工事削減の影響で06年、神戸市内で経営していた土木工事会社が倒産した市内の男性(61)は「家も何もかもなくした。経営者の仲間も2、3人自殺した。『痛みに耐えろ』とだけ言って投げ出すのは許せない」と今も憤りを隠さない。

 派遣労働者の労働条件改善などに取り組む派遣ユニオンの関根秀一郎書記長(44)は「小泉改革の規制緩和が雇用に残したつめ跡は非常に大きい。日雇い派遣労働者など使い捨てとも言える雇用を許し、ワーキングプアなど生活破たんに直面する労働者を増大させた。前回衆院選の時、不安定雇用の閉そく感に包まれた若年労働者は小泉元首相のワンフレーズに期待した。しかし、彼らは最大の被害者になってしまった」と批判した。

 午後7時半すぎ、東京都千代田区のゆうちょ銀本店で開かれていた店長会議を終えて出てきた男性店長(55)は「小泉元首相は郵政3事業を放り投げたまま、その後の方向性を示さなかった」とため息をついた。

 ◇猪瀬さんエール「今後も自由に」

 小泉政権で道路関係4公団民営化推進委員会委員を務めた東京都の猪瀬直樹副知事は25日、小泉首相の政界引退に「権力に執着のない小泉さんらしい直感的な判断でやめた感じがする」と語った。

 構造改革路線の後退も懸念されるだけに「改革の火種をうまく次の人たちにつなげる役割は残しておいてほしかった」と惜しむ。今後の小泉氏の活動については「改革の象徴としての小泉さんは存在していい。バッジがなくても、もっと純化して自由に発言してほしい」と期待した。

 また、小泉氏と遠縁でもある石原慎太郎知事は「彼らしくていいじゃないですか、さっぱりしていて。人材はたくさんいるんだから、どんどん新陳代謝していったらいい」と引き際をたたえた。【木村健二】