シェークスピアへの参照 09
山田玲子 「あるフーガ」 2018 04 21 (Sat)
【著者紹介】 1933 兵庫県生まれ、大阪大学運学部、同大学院博士課程修了。獨協大名誉教授。
[引用開始]
フィービー: Good Shepard, tell this youth what 'tis to love.
シルヴィアス: It is to be all made of sighs and tears, And so am I for Phebe.
フィービー: And I for Ganymed.
オーランド: And I for Rosalind.
ロザリンド: And I for no woman.
劇も終わりに近く、羊飼いの青年シルビアスは彼に連れない恋人フィービーに「シルビアス、この人に恋とは何かを 教えてあげて」と言われて、「恋とは溜息と涙でできているもの、・・・」と始める。冒頭に引用したところである。フィービー は男装している羊飼い Ganymed こと、劇のヒロイン、ロザリンドにその彼女の変装ゆえに憧れてる。そしてこのロザリンド やいうまでもなくオーランドーに夢中である。かれも当然彼女を熱愛している。<変装>というエリザベス朝演劇に通有なこの 約束事(コンベンション)は、この場合、劇の動きを滑らかにし、しかも同時にその効果を幾層倍にも倍化して、複雑な錯綜した、 それでいてヴォルテジの高い恋の場面をつくる大きな因となっている。いうまでもなくオーランドーとギャニミードのあいだに 展開するこの恋のゲームは、(これこそ劇の見せ場だが)オーランドーがギャミニードを、ロザリンドと見抜いていないところにこそ、 面白さのすべてがかかっている。観客や読者はそのあたりの経験はすべてのみこんでいて、劇の登場人物たちをいわば一種の 優越感をもって眺めることができている。
[引用終了]
◇◇◇
そうか、この輻輳した恋のゲームをそういう風に要約するのか。
ところで、タイトルのフーガ:
フーガ: fuga; 遁走曲(とんそうきょく)一つ、あるいは複数の主題が次々と複雑に模倣・反復されていく対位法的楽曲
たしかに、複数の主題が次々と複雑に模倣・反復されていくなあ、こういうのをフーガというのか。
ところで、山田さんは「観客や読者はすべて分かっていて、劇の登場人物に優越感を感じる」といっているが、 ロザリンドはさらにその上の優越感を、シェークスピアはさらにその上のその上の優越感を味わっているにちがいない。