メジャーリーグでショートを守る方法 | ベースボールバイブル

こんにちは。
ベースボールバイブルの東です。

 

 

守備についての面白いコラムがあったので紹介します。
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日本のショートストップは、なぜ、メジャーで通用しないのか。異国を知る者たちが証言する「確実にアウトにするための守備」の盲点【野球考#1】(ベースボールチャンネル)

 

 

このコラムではなぜ日本人がメジャーでショートを守れないのかという話がされていますので、ちょっと紹介しますね。

 

 

井口への取材でもう一人、名前の挙がったショートがいる。チームメイトで高卒ルーキーだった平沢大河だ。
 
2016年8月21日の埼玉西武ライオンズ戦で9回裏、森友哉が放った三遊間深くの当たりを逆シングルで捕りに行かず、正面に回り込んでからステップして投げたため、時間のロスが出て内野安打とした。ベンチで見ていた井口は、「もったいない」と感じた。
 
「今宮に逆シングルで捕られて、ランニングスローされたことが今シーズンありました。平沢にそういうプレーをやれとは言わないけど、自分で見て、こういうプレーのほうがアウトになるんだと感じなければいけない。彼はいま、ステップの幅が大きいじゃないですか。たとえば、もっと小さくしてみる。彼は自分のプレーに安定を求めていますけど、必要なのはそこではないんですよね」
 
この言葉の真意に気づける選手、球界関係者はどれだけいるだろうか。井口はメジャーでプレーしたからこそ、中南米選手との違いを肌で知っている。守備の基本は日本人内野手のほうが上だと感じた一方、驚かされたのがラティーノたちの応用力だった。
 
「1歩目、2歩目のダッシュの力と、ランニングスローがすごい。彼らは捕って、いかに早く投げてアウトにできるかを考えています」
 
筆者は中南米野球の取材をライフワークとしており、2016年にはベネズエラを訪れた。同国はメジャーでゴールドグラブ賞を通算11度獲得したオマー・ビスケル(元クリーブランド・インディアンスなど)や、現役では2015年に同賞に輝いたアルシデス・エスコバー(カンザスシティ・ロイヤルズ)などショートの名手を数多く育てている。
 
指導現場を取材して回ると、その背景が見えてきた。プロ選手を目指す13~17歳の少年が通う「ロス・ピノス」という国内トップレベルのアカデミーでは、練習でキャッチボールの直後、近距離からゴロを転がし合い、捕球してすぐに送球体勢に入る動きを繰り返していた。デトロイト・タイガースのアカデミーでも、16~20代前半の選手たちに同じ光景が見られた。キャッチボールと同列に置くほど日々の大切なメニューと位置づけることで、「捕って早く投げる」はベネズエラ人のDNAとして受け継がれていくのだ。
 
翻って日本では、「捕って早く投げる」より「確実に捕る」ことに重点が置かれる。三遊間深くのゴロを逆シングルで捕ればその流れで送球体勢に入れるため、ベネズエラや中南米選手はこのように守る一方、日本では「正面で捕る」ことを徹底させられる。1塁に投げることを考えれば、回り込んで正面に入るのは非合理的だが、そのほうが捕球ミスを減らせると考えられているからだ。
 
2016年春のセンバツ高校野球の開幕戦、福井工大福井対智弁学園で非合理的なプレーが見られた。
 
智弁学園が2点リードした2回表1死1塁の守備で、三遊間深くにゴロが飛んだ。ショートの太田英毅はこれを正面に回り込んで捕り、1塁に投げたが間一髪セーフになった。2017年のドラフト候補と当時から注目されていた太田に「逆シングルで捕りにいく選択肢はなかったか」と聞くと、「なかったです」と即答された。
 
「ずっと右足に(力を)ためてから投げてきました。(出足の)一発目が遅かったら、逆シングルで行っていたと思います。でも(逆シングルで行ってエラーする)リスクを背負いたくありません。1、3塁にはしたくなかったです。(正面で捕って1塁がセーフになって1死)1、2塁にしても、(攻撃で)点数をとれると思っていました。だから前で止めようと思いました」
 
リスクを背負いたくない――太田を責める気は毛頭ないが、彼にこういう発言をさせてしまう指導者陣に問いたい。チャレンジさせる教育をしていないことを問題だと思わないだろうか。
 
タイミング的に判断すれば、逆シングルで捕って投げれば1塁でアウトにできた。そうすれば2死2塁で、ピンチ脱出に近づく。試合序盤でリスクを恐れるような場面ではなく、さらに言えば逆シングルの捕球は慣れればそう難しい技術でもない。
 
それなのにピンチが大きくなることを恐れて「前で落とせ」と教え込むのは、技術習得においてマイナスだ。もちろん「正面で捕る」ほうがいい場面もあるが、逆シングルで捕るほうがいいときもある。
 
それをすべて正面で捕りにいかせる指導は、教科書から逸脱できない日本の教育と同じ問題点と言える。自ら考える力、つまり応用力がないのは、日本社会の欠陥と同じである。

 

 

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