ベースボールバイブルの東です。
ジョコビッチ選手がウィンブルドン選手権で優勝したそうです。
そんなジョコビッチ選手のコメントがカッコいいです。
↓↓↓
連覇のジョコビッチ、さらなる進化を宣言「自分の限界に挑戦したい!」(産経新聞)
「どこまでできるのか、自分の限界に挑戦したい」
と。
ジョコビッチ選手の本にはこんな事が書かれています。
ほとんどの人は、人生で何をしたいのかを6歳で決めることはないだろう。でも、私は決めていた。13年前、セルビアの山岳地帯にあるコパオニクという街で両親がやっていたピザ屋の小さなリビングルームで、私はピート・サンプラスがウィンブルドンで優勝する姿を見て、心に誓ったのだ。「いつの日か、あそこで優勝するのはボクなんだ」と。
6歳で何をしたいのかを決めた。
けど、
本当にウィンブルドンで優勝して、世界一の選手になるまでの道のりは大変だったそうです。
夢にたどり着くためには何かが足りない・・・
と。
本にはこんな事が書かれています。
私もいろいろ試した。今日のプロテニス界においては、技術やフィジカル、あるいは思考をほんの少し変えただけで大きな結果の違いが現れる。私は毎日朝と午後に練習をして、ウエイトトレーニングもして、一日も欠かすことなく毎日バイクをこぎ、走り込みを続けていた。それなのに体調不良なんて、どう考えてもおかしかった。
トレーナーも変えて、新しい練習メニューも試した。この呪いから逃れるためにはテクニックの向上しかないとコーチも替えた。もっと呼吸ができるようにと鼻の手術も受けた。そういった変化は多少の助けにはなった。シーズンごとに、少しずつ結果がよくなった。
2007年には、世界ランキングの頂点に上り詰めて以来のロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルの両者を下した2人目の選手となった。
それでも、私が夢に向かって大きく一歩踏み出すたびに、私の腰まわりにロープが巻きついていて、引っ張られているような感覚に襲われていた。
プロテニスの世界は一年のうち11ヶ月にわたりシーズンが続き、一定の成績を残すためには次の試合に向けて一刻も早く回復することが求められている。
それなのに私は、一回優勝したら、次の試合で突然倒れてしまう。せっかく厳しい戦いを勝ち抜いたのに、次のラウンドの最中にまた棄権してしまうという繰り返しだった。
私の問題はフィジカルではなく、メンタルだったのではないか。私はさまざまな薬も試し、その後ヨガをして、少しでも思考に平静をもたらそうとした。
私の練習は執念に近いものになっていた。一日14時間、一日も休むことなくメンタルとフィジカルの向上のために何かをしていたのだ。そして私は世界ランキングトップ10に加わるようになった。
だが、私の夢は、世界最高の一人になることではなかった。世界最高といえる存在が2人いた。フェデラーとナダルだ。そして、この2人からすれば、私など、たまに出てきて、少し苦しくなるとすぐに棄権してしまう“雑魚”にすぎなかった。この2人こそ本物のエリートだ。私はまだ第二集団の中でもがくだけの存在だった。
トレーナーも変えて、新しい練習メニューも試した。この呪いから逃れるためにはテクニックの向上しかないとコーチも替えた。もっと呼吸ができるようにと鼻の手術も受けた。そういった変化は多少の助けにはなった。シーズンごとに、少しずつ結果がよくなった。
2007年には、世界ランキングの頂点に上り詰めて以来のロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルの両者を下した2人目の選手となった。
それでも、私が夢に向かって大きく一歩踏み出すたびに、私の腰まわりにロープが巻きついていて、引っ張られているような感覚に襲われていた。
プロテニスの世界は一年のうち11ヶ月にわたりシーズンが続き、一定の成績を残すためには次の試合に向けて一刻も早く回復することが求められている。
それなのに私は、一回優勝したら、次の試合で突然倒れてしまう。せっかく厳しい戦いを勝ち抜いたのに、次のラウンドの最中にまた棄権してしまうという繰り返しだった。
私の問題はフィジカルではなく、メンタルだったのではないか。私はさまざまな薬も試し、その後ヨガをして、少しでも思考に平静をもたらそうとした。
私の練習は執念に近いものになっていた。一日14時間、一日も休むことなくメンタルとフィジカルの向上のために何かをしていたのだ。そして私は世界ランキングトップ10に加わるようになった。
だが、私の夢は、世界最高の一人になることではなかった。世界最高といえる存在が2人いた。フェデラーとナダルだ。そして、この2人からすれば、私など、たまに出てきて、少し苦しくなるとすぐに棄権してしまう“雑魚”にすぎなかった。この2人こそ本物のエリートだ。私はまだ第二集団の中でもがくだけの存在だった。
これって、多くの選手に通じる話ではないでしょうか?
体を鍛え・・・
技を磨き・・・
メンタルを強くする。
何が良いのか?
何が正解なのか?
何が自分に合っているのか?
多くの選手が必死にもがいています。
でも、
なぜだか自分が望むところまで行けない・・・
何かが足りない。
何が足りないのだ?
もっと苦しまなければいけないのか?
でも・・・
ジョコビッチ選手は一日14時間、一日も休むことなくメンタルとフィジカルの向上のために何かをしていたわけです。
普通に考えたら、これ以上のトレーニングはできませんよね。
それでも自分が世界のトップ10までしか行けなかったとしたらどうでしょう?
いや、
世界でトップ10はスゴい事なんですが・・・
世界一を目指しているのに世界トップ10から上に行けなかったとしたら何をどうするでしょうか?
ここに答えがあります。
これまで17年間、一日も休むことなく猛練習を重ねてきたのに、それでも世界最高レベルの選手と肉体面、精神面で一試合を通して張り合うことができないのだ。
私には技術もあったし、才能も気力もあった。心身を鍛えるためにあらゆる練習も試したし、世界最高の医師たちの指導も受けてきた。だが、そんな私の行く手を阻んでいたものは、まったく予想もしていないものだった。私の練習・トレーニングは間違っていなかった。
だが・・・
私には技術もあったし、才能も気力もあった。心身を鍛えるためにあらゆる練習も試したし、世界最高の医師たちの指導も受けてきた。だが、そんな私の行く手を阻んでいたものは、まったく予想もしていないものだった。私の練習・トレーニングは間違っていなかった。
だが・・・
だが?
食事が完全に間違っていたのだ。
何と言うことでしょうか。
食事が間違っていたそうです。
それに気づいてからの変化が書かれています。
私にとって、プロ生活で最低の瞬間が、2010年1月27日のあのダブルフォルトだった。しかし、2011年7月までに(あれからわずか18ヶ月である)私はまったくの別人になっていた。
体重が5キロ落ち、かつてなく強靭になり、子供時代から振り返っても一番の健康体になった。そして生涯の目標だった2つのゴールに到達した。ウィンブルドン優勝と、世界ランキング1位だ。最後に、ラファエル・ナダルのギリギリのバックハンドの行く末を確かめて、ウィンブルドンカップに手が届いたとき、私はまだ何もなくて不可能な夢を見ていた6歳の目でそのシーンを見ていた。
私はグラウンドに倒れ込み、思いきり腕を天に突き上げた。そしてかがみこんだ私はウィンブルドンの芝を少し引き抜き、食べた。
そこには汗の味がしみ込んでいた。私の汗だ。それまで味わったことがない甘い味が口に広がった。
わずか18ヶ月で、私をただの「そこそこいい選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは、新しいトレーニングプログラムではなかった。私の無駄な体重を落とし、集中力を高め、生まれてこのかた最高の健康状態を作り出してくれたのは新しいラケットでも、新しい練習でも、新しいコーチでも、新しいスタイルのサーブでもなかった。それは、新しい食事だった。私の人生が大きく変わったのは、体に合った正しい食事を始め、体が求めるとおりに従ったからだ。
新しい食事にしてから最初の3ヶ月で、体重は82キロから78キロまで落ちた。家族と友人がやせすぎではないかと心配するほどだった。だが体のキレがよくなり、神経はさらに研ぎ澄まされ、かつてないほど活力がみなぎるようになっていた。
さらに動きが速くなり、柔軟性も増し、他の選手ならラケットが届かないボールにも届くようになり、かつ強さも増し、精神面の集中力も今までになくしっかりしてきた。疲れを感じることも、息切れすることもなくなった。アレルギー症状も消えた。喘息も出なくなった。今まであった恐怖や疑念はすべて自信と置き換えられた。もう3年近くひどい風邪やインフルエンザにかかったこともない。
一部のスポーツライターは私の2011年のシーズンを「プロテニス史上最高の一年」と呼んだ。タイトルを10個獲得し、グラウンドスラムで3勝、そして43連勝だ。そのために変えたのはただ一つ、食事だけだったのだ。
体重が5キロ落ち、かつてなく強靭になり、子供時代から振り返っても一番の健康体になった。そして生涯の目標だった2つのゴールに到達した。ウィンブルドン優勝と、世界ランキング1位だ。最後に、ラファエル・ナダルのギリギリのバックハンドの行く末を確かめて、ウィンブルドンカップに手が届いたとき、私はまだ何もなくて不可能な夢を見ていた6歳の目でそのシーンを見ていた。
私はグラウンドに倒れ込み、思いきり腕を天に突き上げた。そしてかがみこんだ私はウィンブルドンの芝を少し引き抜き、食べた。
そこには汗の味がしみ込んでいた。私の汗だ。それまで味わったことがない甘い味が口に広がった。
わずか18ヶ月で、私をただの「そこそこいい選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは、新しいトレーニングプログラムではなかった。私の無駄な体重を落とし、集中力を高め、生まれてこのかた最高の健康状態を作り出してくれたのは新しいラケットでも、新しい練習でも、新しいコーチでも、新しいスタイルのサーブでもなかった。それは、新しい食事だった。私の人生が大きく変わったのは、体に合った正しい食事を始め、体が求めるとおりに従ったからだ。
新しい食事にしてから最初の3ヶ月で、体重は82キロから78キロまで落ちた。家族と友人がやせすぎではないかと心配するほどだった。だが体のキレがよくなり、神経はさらに研ぎ澄まされ、かつてないほど活力がみなぎるようになっていた。
さらに動きが速くなり、柔軟性も増し、他の選手ならラケットが届かないボールにも届くようになり、かつ強さも増し、精神面の集中力も今までになくしっかりしてきた。疲れを感じることも、息切れすることもなくなった。アレルギー症状も消えた。喘息も出なくなった。今まであった恐怖や疑念はすべて自信と置き換えられた。もう3年近くひどい風邪やインフルエンザにかかったこともない。
一部のスポーツライターは私の2011年のシーズンを「プロテニス史上最高の一年」と呼んだ。タイトルを10個獲得し、グラウンドスラムで3勝、そして43連勝だ。そのために変えたのはただ一つ、食事だけだったのだ。
食事にそれほどまでの力があったとは・・・
驚きですよね。
盲点とでも言うのでしょうか。
例えば、
体重が減っても食事次第で強さが増す。
これは野球界にまた新しい風を吹かせるかもしれません。
まあ、
参考程度にジョコビッチ選手がどういう食事をしたのかというと・・・
私が一番驚かされたのは、わずかな変化なのに、もたらす結果があまりにも劇的だったということだった。私はただ、グルテン(小麦に含まれるタンパク質)を数日間排除しただけなのに、私の肉体はすぐに良い方向に向かったのだ。心身ともに軽くなり、速くなり、クリアになった。
2週間後、私は人生が大きく変わったことを実感した。その後さらにいくつかの要素(砂糖を減らし、乳製品を除いた)を付け加えたが、毎朝目覚めたその瞬間に、かつての自分、幼少時代の私とは全然違うことが感じられた。ベッドから跳びだせるようになり、その後の一日が楽しみになった。
2週間後、私は人生が大きく変わったことを実感した。その後さらにいくつかの要素(砂糖を減らし、乳製品を除いた)を付け加えたが、毎朝目覚めたその瞬間に、かつての自分、幼少時代の私とは全然違うことが感じられた。ベッドから跳びだせるようになり、その後の一日が楽しみになった。
グルテンフリー。
しっかり読んでくれている方はお分かりだと思いますが・・・
両親はピザ屋さんですからね。
その家庭で育ったジョコビッチ選手がグルテンフリーに挑戦した。
面白いものですね。
まあ、
単純にグルテンを排除すれば良いのかどうかは人それぞれだと思います。
実際にこんな事も書かれていますからね。
ほとんどのダイエットプログラムでは、相手が27歳のテニス選手でも、35歳の二児の母親でも、50歳の副社長でも、同じ物を「食べなければならない」と指導する。バカげた話だ。
「~しなければならない」(Must)という言葉自体がおかしいのだ。あなたの肉体は私の肉体とはまったく違う代物だ。指紋を見ればわかるだろう。一人ひとりが違い、同じ人は世界のどこにもいないのだ。つまり、あなたの肉体も全世界の他の人たちとまったく違う。だから、私にとって最高の食事を、あなたにとってもらいたいわけではない。ただ、あなたにとって最高の食事が何かを知るための術を伝えたいだけなのだ。
「~しなければならない」(Must)という言葉自体がおかしいのだ。あなたの肉体は私の肉体とはまったく違う代物だ。指紋を見ればわかるだろう。一人ひとりが違い、同じ人は世界のどこにもいないのだ。つまり、あなたの肉体も全世界の他の人たちとまったく違う。だから、私にとって最高の食事を、あなたにとってもらいたいわけではない。ただ、あなたにとって最高の食事が何かを知るための術を伝えたいだけなのだ。
と。
ただ、グルテンを排除するのも一つの手かもしれませんね。
この本。
ジョコビッチの生まれ変わる食事
もしかすると人生を変える一冊になるかもしれません。
僕もいろいろと考えさせられました。
興味があれば、読んでみて下さい。
では、また。