先日、業界のお偉い方と食事した時に、このブログの人生ドラマは今ではあまり聞かない話なので出版、ドラマ、映画に発展する可能性があると真剣に話してくれました。

僕もまた心して頑張ろうと決意した。


パワハラやモーレツなど存在しなかったこの時代、会社では嫌なら辞めろ的な風潮でした。

そんな中、藤川譲二は店長から辛辣な事を言われてしまった。

今、思うと当たり前の内容だったのですが、当時の藤川にとっては、社会に出て初めて味わった屈辱だったので、かなり応えた。

真面目にやっていたのにと思うと、その夜は悔しくて眠れなかった。


またこの社会で生きて行くのは、そんな甘いものではないと痛感したのだ。


藤川が考えた個人売上を伸ばす方法として、販売時間を1分でも多く作る事を先輩に頼まれて早朝出勤して来た事がヒントになったのだ。

そして販売力の向上とアイデア、発想の転換しかない。

その決意は半端なものではなかった。


そして、個人売上アップのために具体案を考えたのです。

朝は8時まで出社する。

普通は10時に開店なので、30分前の出勤が決まり。

昼食は20分とする。

普通は60分休憩。

夜はみんなが帰社した後、閉店まで残しても大丈夫な日中の雑用を処理する。

休みは月1回とする。

これは、昔入っていたビルが月1回はビル全体が休館日だった為、否応なしで月1回だけは休むことに。


出勤は7時前に家を出て行き、休みは月1度しか取らなかったので家族から不思議がられていた。

彼は

『新人だからいろいろあるんだよ』

と詳しくは語らなかった。


サービス業は、土日の休みはなく平日に各自の休みをローテーションで決められ休んでいた。


藤川の休みの日は水曜日だったが、休んだのは月1回の休館日だけ。

ただ本来の休みにあたる水曜日だけは、疲れを取る為に10時過ぎに出勤していた。


その日は休日なので、もちろんタイムカードは押しません。

早朝、残業も彼自身が好きでやっていることなので、残業代がつかないようにタイムカードは一切押していなかった。


休日出勤日には先輩達に、

『今日は自分は休みの日なので一切雑用を頼まないように』

と言っていたのだ。

1日中販売のみに徹する為に!


普段、平日の昼食は食べて20分ぐらいで戻って仕事をしていたが、休日出勤した時だけは昼食は先輩といろいろな話をする為に同じ1時間取った。


先輩とゆっくり話し親交を深める為だったのです。

すると必ず、

「大したもんだよお前は!」

と言われていた。


しかし、始めの頃は先輩達からはイヤミと無言の圧力をかけられていた。


何一つとして規則を破っている事はないので、正面切って文句は誰からも言われなかった。

店長もイヤミっぽく

「あまり無理するなよ」

とたまに言って来た。


藤川は誰よりも空気を読める人間だったので、やはり始めの頃は辛かったそうだ。

後々、真似をする先輩も出て来て他の先輩達も驚いていた。


彼の頭の中では販売する時間を増やしても、どう売上を伸ばすかしか考えてなかったのだ。


その為にもまず一人のお客さんを大事にして、来店してくれた以上は必ず何か買って頂くことに徹底していた。


お客さんからしたら、しつこい店員だと思いますよね(^_^;)


しかし、藤川は誰よりもお客さんの気持ちを考え気を使っていました。

そこは本物の商売人になろうと決意していたからだ。


藤川は電車に乗って自分が座っている時に、T社の袋を持って立っている人を見ると

『僕、T社横須賀店の藤川と言います』

と言って席を譲っていた。

すると現に何人もの人達が来店してくれ、大切なお得意様になってくれたこともあった。


店での販売では関連販売と言って、お客さんと仲良くなり買いに来た本来の商品に合う商品を更に販売する事を心がけていたのだ。


スラックスを買いに来たお客さんが、着替えている時には、お客さんの履いて来た靴を横にずらして新しい靴を置いて進めて販売するという事です。

これらの販売方法は全て、後々T社のマニュアルになったくらいだ。


しかし、やっぱり売上高を伸ばすにはスーツなどの高い商品を販売する事が不可欠なのだった。

当時、シャツやニット類は23千円、ジーンズでもいい物でも45千円の売上げ高。

スーツなどは当時でも45万円していたのもあり、彼がどんなに頑張っても高額商品を1日何点か販売していた先輩達には追いつかないのだ。


しかも、先輩達でもその高額品コーナーには、キャリアのない人間は立ち入ることさえ許されなかった。


しかし、藤川は新入社員の身でありながらそのコーナーに堂々と入って行き、販売する方法を考えたのだ。