家ではあり得ない、3食昼寝付き。

子どもの譲二に病室の人や看護師さんはとても親切にしてくれ、気も使ってくれました。

更にお見舞いに来てくれた人は、いろいろな物を持って来てくれます。

貧乏の家で育った譲二にとっては、王子様状態でした(^^)

レベルの低い話しですが(^^;)


痛みも始めのうちだけで、3.4日経って抜糸した後はもう普通の状態でした。

子どもは回復がやはり早いそうですね。

それからは、早く家に帰りたいとの思いが強くなっていきました。



譲二の入院した病院は、一昨年ここに勤務していた看護師が何人かの高齢者を殺害したことでニュースになった病院でした。



そして1週間で譲二は無事に退院することが出来ました^_^


退院の日、病室の人達にお礼の挨拶をした。

病室の人からは、

「後から入って来て、先に退院するなんて失礼だよ!」

と、明るく笑顔で送りだしてくれました。

短期間ですが、人は寝食を共にすると何故か親近感が生まれ、別れも寂しいものがありました。

退院の日に母と兄が来てくれました。

いつの間にか、荷物が多くなっていた。

わずか1週間くらいの入院だったが。


看護師さん達にも挨拶をして、久しぶりに外に出た気分は最高でした。



しかし、外は雨。

3人で電車でトコトコ帰っていきました。


病み上がりで歩くのが遅かったので、母と兄はその都度、止まって振り返って譲二を待っていました。

普段より時間がかかりましたが、ようやく家に辿り着くことが出来ました。

そして、また現実を見てしまいました。


しかし、譲二は楽しかった旅行から戻ったような気分は一瞬で消えてしまった。

それは広かった病室から狭い人口密度の高い、我が家を見たからでした。


またそこには病室の続きかのように、部屋で寝ている父を見て、何故か心が重くなってしまいました。


そして兄の一言で現実に戻った。

「ところで、入院費っていくらぐらいかかったの?」

と、荷物を出しながら母に聞いたのです。

母はその時は

「そんなこと気にしなくていいのよ」

と、笑って答えませんでした。


しかしその瞬間、譲二の貧乏克服使命の本能のスイッチが入ってしまった。

(そうだ、入院費って高かったんじゃないのかなぁ?支払いは足りたのか⁇)

とか、考えてしまったのです。

退院の際、譲二が病室で荷物をまとめている間に、母が会計に行っていたのは知っていましたが、金額までは知る余地はなかった。



兄の質問から入院費のことが頭から離れなかった譲二は母から二人でお風呂屋に行った時、ようやく聞く事が出来たのです。

はっきりは言わなかったのですが、23万円くらいらしかった。


母があまり譲二に言いたがらなかったのは、譲二がまたバイトなどをすることが心配だったのです。


譲二は、もうとっくに次のバイトを考え始めていたのだ。

お金の計算に強かった譲二は、特に家計簿の内容はだいたい頭に入ってました。


予定外の譲二の入院費は大きな出費であった。

母は言いませんでしたが、

(よく入院費が払えたなぁ)

と、譲二は不思議でならなかった。


とにかく、入院費は譲二の借金だと思いました。

翌日、学校へ登校しました。

クラスのみんなは喜んでくれた。

「盲腸は感染るの?」

とか言われましたが健康の有り難みをしみじみ感じた。


しかし、譲二はさっそくバイト探しを始めたのです。

放課後、ひとりで学校の周りを歩いて何かバイト出来る所がないか偵察したのだ。

そして少し歩いていると学校のそばで、バイト募集している、いいところを見つけたのです。