御用聞きを無事に終えた初日の夜、家に帰った譲二はビンビジネスをしていた時とは段違いの疲れを感じた。
譲二は、放課後すぐ店に行きお兄さんと合流してお客様宅を訪問・注文取りを一日10〜15軒程回っていました。
店に戻って注文品の確認した後、お客様宅へ配達。
同じ家への訪問は週2回が目安で出社は週3〜4日。
仕事が終わる頃には外は真っ暗です。
10才の子どもが大人と同じ仕事をしていて大丈夫なわけないですよね。
夜、店に戻ると夕食を出してくれた(^^)
-母に仕事内容を伝えた時-
母はちょっと心配な顔をして、
「大丈夫なの?もう仕事なんてしなくていいのよ」
譲二は笑いながら、
『自分でやっていたビンの仕事よりも、多く稼げるんだよ^_^』
今度は真面目な顔をして、
「そんな仕事ばかりしていないで、友達と遊んだら」と。
とても普通の親子の会話ではありません。
そう言いながらも、母は譲二が働いていることに大変喜んでくれ、ビンビジネスの時も深く感謝をしてくれていました。
譲二も母の気持ち想いは痛いほど、家族の誰よりも分かっていた。
譲二が幼稚園を中退した時に見た母の寂しそうな顔。
譲二は
『幼稚園に行かなければ、家で好きなことがいっぱい出来るし、自由に遊べるから大丈夫だよ^_^』
と、言っていたそうです!
そんなこともあり四人兄弟の末っ子の譲二は、特に可愛いがられていました。
それは、大人になった時に、
「母さんは、いつもお前の成長を楽しみにしていたぞ!」
と、兄がよく言っていました。
それには、もうひとつ大きな理由があったのです。
-遡ること11年前-
譲二がまだお腹の中にいた頃、父の病気マラリアが再発してしまったのです。
マラリアという病気は再発すると、とくに大変な状態に陥ってしまいます。
そこから、藤川家の生活は一変してしまい極貧生活が始まりました。
病院代・高いクスリ代・そして育ち盛りの三人の子供の養育費に生活費。
当然、働き手の父は動けません。
その時、母は働いていませんでした。
そんな状況に陥ってしまい、両親は話し合いの結果やむなく譲二の出産を諦めることに。
そして、中絶する手術日も決まっていたそうです。
しかし、肝心のお金の工面がなかなか進まず状況は二転三転。
結局、お金が出来た時にはもう出産するしかなかった時期だったそうです。
そのおかげで、譲二は命拾いしたのです。
譲二は人生で九死に一生の経験を3度体験するのですが、
その最初の九死に一生は母親のお腹の中でした。
当時、二転三転したことはいろいろと深い事情があったそうですが、それ以上母は口にしませんでした。
そんな経緯もあり、母は譲二を執拗以上に可愛いがってくれていました。
しかし、その時の譲二はそんな母の気持ちはまったく知りませんでした。
とにかくお金をいっぱい稼ぎ、苦労ばかりしていた母を家を助けることだけを考えていた。
御用聞きの内容を母に伝えた時、心配顔の母を気遣い、とにかく譲二は
『自分は仕事が大好きだから、大丈夫だよ!』
と、強く明るく母に話をしたそうです。
感動的ですね。
本人はまるで覚えていませんが(^^;)
しかし、何日か働いて疲労もピークに達したある日、とうとう弱気になってしまった。
(やっぱりビンビジネスをもう一度やろうかなぁ)
と、考えてしまうようになった。
人間は年齢に関係なく、
窮地困難にぶつかると弱気になってしまうことを強く思った。
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