譲二は家の事と自分の体を考えて、転職することを決意した。
ただ、役員^_^である2人の家も譲二の家ほど大変ではなかったが、生活は苦しかったのです。
保の家は父親がいなかった。
賢治の家は兄が病気で大変だったのだ。
その為、譲二はビンビジネスの継続も考えていたのだった。
その頃、譲二の家も生活状況はビンビジネスのおかげで、やり繰りがなんとか出来ていたのだ。
収入も多い時は5000円近くいっていた。
それでも、電気代が払えずに電気が止まったことが何回もあり大変な思いをしていた。
父の医療費、クスリ代、更に前の物置の家と違い光熱費もあり、家賃と一家六人の生活費のすべてを母一人でやり繰りするのは本当に大変だったのだ。
そんな状況だから、譲二は1円でも多く稼がなければならなかったのです。
そして、ヘッドハンティングされたことを話す時が来た。
公園の隅にあるベンチで3人の役員会議を始めたのです。
最初は躊躇したが、包み隠さず話しをした。
すると、2人はやはり一瞬ビックリしましたが、
『この利権を使っていい』
と、伝えると喜んで納得してくれました。
子供ながらも現金さにビックリ!
責任者として、全員一致で右腕だった保を社長に決めました。
また、困った時には手伝うからと約束してあげたのです。
今で言う相談役です。
それから、今後の業務の仕方やローテーションの組み方などを教えたのですが・・・。
あまり手ごたえを感じず少し不安を感じていたのでした。
譲二もいないし、それは無理もありません。
ビンビジネスは簡単な仕事ですが、強いハングリー精神がないと負けてしまいます。
一人でやっていた時も、いくらお金のためとは言え、周りからいろいろと言われたり卑下されたような目で見られ、想像以上に辛く疲れました。
しかし、いい利権なので
あの時は頑張って欲しいと願っていた。
また、自分が考えた仕事でもあり、寂しさもあったことは今でも記憶に残っています。
また少し後ろめたさもあったが、自分の得意なトークが活かせて給料もいい御用聞きの仕事を選んだのだ。
更に強い期待感も感じたからだ。
そして二月、ビンビジネスを新社長にもう一度教え直してから、いよいよ御用聞きの仕事を始めたのでした。
10才になったばかりのことです。
雇用に対して、法規制もない時代でした。
そして、いよいよ初出勤。
土曜日の午後、ドキドキでした。
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