55年前の小学4年からが、今考えると本当の苦労の始まりだった。
譲二は子供らしいことは一切何もせず、家の為にお金を稼ぐことに知恵と力を出していた。
両親の苦労を間近で見ていて、生活をしていくことの大変さを強く感じていたからだ。
特に父の姿を見ていて、
(男は経済力がないと本当に情けない)
と、痛感していた。
譲二は、
(必ず大金持ちになってみせる!社会で大成功してやる!)
と、いつも心の中で思っていたのだ。
1日も早く貧乏暮らしから抜け出したいと毎日考えていた。
その為には、絶対に人に負けない努力をしなければと決意して生きてきたのだ。
子供ながらに、お金を稼ぐ為にあらゆる努力とアイデアを常に考えていた。
様々な難問に対して必死に考え知恵を出し、死にもの狂いで頑張り抜いていた。
譲二の仕事に向き合う姿勢と根性が、後に就職した一部上場の紳士服専門店で、新入社員ながら全国一番の売り上げを上げたことに大きく影響したのだった。
遂には、100店舗近くあった企業の頂点である本店店長に、何百人もいた先輩をごぼう抜きをして24才の若さで就任したのだ。
それは、社内でビッグニュースになり、社外でも話題になったほどだった。
本店にいた30人以上の部下は、ほとんどが年上で40~50代の人もいた。
もちろん、筆舌では表せないないほどの努力と、人のやらない事や考えなかった事を必死に続けたことは言うまでもありません。
その原点は、すべて小学4年から働き始め苦労した経験が大いに役に立ったのだ。
年上の人との接し方から、酒屋さんを相手にして商売のあり方も勉強ができた。
更に売り上げを上げることへの執念も身についた。
この時から15年後、ミラクル出世したことは本当に大変だった少年時代に苦しんだ経験が原点となっている。
《努力は嘘をつかない》
《努力はいつか必ず報われる》
と、譲二は確信した。
詳しい内容は後述します。
(話しは戻り)
ビンビジネスは予想以上に順調に進み、毎日目標が達成出来た。
一日、100円以上稼げていた事が多く、少し天狗になってしまう時もあった。
好事魔多し?難問が発生したのです・・・
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