台風一過のあとは、普段通りの極貧生活が始まりました。

父の病状は一進一退でしたが、調子の良い時には僕と一緒に散歩に出かけることもありました。

普段は幼稚園を中退した5才の僕が、姉兄達が学校から帰って来るまでの間は、病気の父の面倒を見ながらの留守番をしていました。

 


その頃から、僕は留守番ではなくもう介護をしていたのです^_^

本来の子供としての遊ぶ権利はなかったのです (^_^;)


(その後、半年くらいが経って)

新年を迎えたある日、日頃から色々と気に掛けてくれていた近所の人が、いつものように食べ物などを持って来てくれました。


その時に突然、

「引っ越しをしませんか?」

と、提案をしてくれたのです。

台風の後処理をしていた時も、子供達だけで作業をしているのを見ていろいろ手伝ってくれた、とても優しいおばさんでした。

知り合いがアパートの入居者を探しているとの内容で、三駅となりにある平屋のアパートに即入居できるという内容でした。


それを聞いていた。

(と、いうより聞こえた^_^ )

家族全員は耳を疑るほどの凄い話しだと思ったのです。

いつも家族は、

(もう一生ここに住んでいるんだろう。)

と、勝手に思っていましたので。

今、思うと超ネガティヴな家族だったと思います。



極貧の上、父の病気を考えると引っ越しするなんて、これっぽっちも思っていなかったのです。


そのおばさんの話しは良い条件の上、すぐにでも引っ越してもいいとのことだったのです。

僕はその時の状況や詳しい条件などについては知りませんが、少し経った頃現実に引っ越しする事が出来ました。



新しいアパートは普通の瓦屋根です。

前と違って、物置でもなく台所も土間でなく、普通の台所で人間の住む家でした。

部屋はふたつ、6畳と3畳の和室でした。トイレも家の中にあります。

新しいアパートを見て家族全員が、今までいかに人間が住むような所に住んでいなかったんだと痛感したのです。

大きなグラウンドの片隅にある物置みたいな家、トイレは少し歩いた所、お風呂も少し歩いた逆方向にあるドラム缶風呂、いくらタダ同然だったとは言え、少しオーバーに言うなら地獄で生活しているようなものでしたから当然ですね。


ですから、新しいアパートに住み始めた時、家族全員が天国に来たかのような気分になったのです。



今これを書いていても、純粋だったあの頃の思いを大事にして、決して忘れてはいけない。

と、僕は思っています。


後に僕は日本で初めての億ションや家賃100万円以上の家に住んでいました。

それでも、更に上を目指していて本気になって、家賃500万円の家を見に行くほどでした。

また、その話しは後に描きますね。



新しいアパート。もう本当に夢の世界にいる気分になり家族全員、幸せの絶頂を味わっていました。


父の病状も少し良くなってきていました。

以前は重体状態でしたので、それでもこの時は普通の人が病気で苦しむ?というぐらいの具合ですが。


雨戸も付いていて、雨音も聞こえず雨漏りもせず、風も入ってきませわん。

なんでもない事が凄いんだと学んだのです。


そしてこれが世間では当たり前の生活なんだと、子供ながら少し時間が経ってから理解しました。

家賃は3千円だと後になって知りました。

しかし、また地獄へ入って行く・・・



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