久しぶりに窓から美しい青空が覗いています、これを書いたら体操しに外へ出るのが楽しみです。
お早うございます、姫。
新たな気付きを得て、格段に安心感が増し、非常に喜ばしいことではあります。3人?の片割れには特に感謝しきり、です。もちろんソウルメイト全てに対しても。
ところが、若干の物質的問題が、ないこともないんです。
そういえば、確か2001年の冬、私は頻繁に"Freeze my love"という歌を歌っていました。GLAYの曲です。もちろん、現実的な必要があって。
おそらく、急速に解凍しているのです。でも、急速すぎやしまいかとも思える勢いなのです。
曲でいえば、ご存知"Lovers Again"の一節、「もう二度とあんなに誰かのこと愛せない、そう思ってた。でも今は情熱が目を覚ます予感がしてる。」にやたらと反応するのです。
いや、もちろん答練中はビシッと集中してますよ。復習も念を入れなければと感じる時は念をいれてます。判例六法も眺めています。予想答練終了後は過去5年分の論文過去問につき答案構成に慣れる訓練をしようと計画もしています。
でも、いかんせん寝ても覚めても片割れとの少ないながらも意味深い思い出が連発で蘇ってきたり、それが眠る瞬間まで続き、目覚めの少し手前からまた開始し、夢の一定部分も占有しているのです。
PTSD並みなんではないかと思えるくらいです。その占有率の高さは。ま、確かにある意味Traumaticではありますが…。
他にも、CMが流れてきたとします。それが化粧品のCMの場合、ほぼ間違いなく「美人のアップ映像」で構成されています。もちろん、それぞれ別の顔です。でも、それもまた上記症状?のtriggerとなってしまいます。
何故かと申せば、私は、他人からはもちろん、自分でも認めざるを得ないと感じている、超面食いとして生まれついております。従って、片割れも相当の美人です。
どんなに別の美人のアップ(おまけに57型ですからインパクト大です)を見せられても、結局行きつくところはまたもや片割れの渇望感というわけです。
あの頃、確かに、「もしかして俺に気があるのかな…」と思えなくもない事象もありました。でも、あの頃の私は「そんな夢みたいな事あるはずがない。」と簡単に思えてしまう人間でした。
夢みたいな事であること、あるいは夢そのものであることはその通りです。でも、夢は何であれ全て、「あり!」だったわけですから、捉え方が正反対、例えるならフェアウェイに背を向けて300ヤードのドライバーショットをぶちかましてしまっていたわけです。
わかりにくい例えで恐縮です。
他でもない私が受け止めなければならない事がたくさん、たくさんあることをひしひしと感じて、胸が締め付けられます。君が背負う全ての事、私が受け止めます。
(物理的に)早めに再会しましょう。
それでは、また!