申し訳ないほど晴天続きですね、おはようございます。
日々是勉強、という言葉をどこかで見たか、聞いたかした覚えがあります。
その中身は確か、「日々生きていくことがすなわち勉強の連続である」というようなものだったと思います。
大人に対して発せられるメッセージなのですから、事細かく意味するところの全てについて直接的な説明がされているというわけではないだろうと思います。
そんなこととも関連して、表面的にとらえ、かつ、その時点の自分に楽な方向の解釈に陥りがちな危険を含んだ言葉だとも思っています。
生きているだけで、十分勉強していることになる、という意味ではないと思います。
また、結果の大きさや、そこにどれだけ繋がったといえるか、といった現代日本お得意の価値判断基準と相まうことで、過程そのものの貴さも見えにくくなるのかもしれません。
それらが最も短絡して結合すると、机に向かってする勉強なんて本当の勉強ではないんだから、そんなものしなくたっていいんだ、という結論になりがちではないかと思います。
おそらく「本当の」という言葉の意味内容は「結果としてのお金に通ずる」あるいは「資本的計算方法の下、少なくとも収支相償う」ということでしょうから。
どうでも良い、のは結果のほうだと思います。
物の行く末は、すべてガラクタです。期間の長短があるに過ぎません。
目に見えるもの、見えやすいもの、見えにくいもの、見えないもの、といった具合に貴さが増していくはずです。
結果を求めて努力する際に、いい加減で良いと言っているのでは断じてありません。
必死の努力は言うまでもない大前提です。その結果であれば、どちらの結果も良い結果、という、至極当たり前の結論からさかのぼって考えてみても、貴いものの判断基準は今はやりのものと正反対になるってわけだよなあ…、と、ぼんやりと考えを巡らせてみた次第です。
勉強開始。
それでは、また!