まあ、うまくストレス解消に役立てながら楽しく飲める人もいるかもしれません。
でも、難しいことが多い気がします。
お早うございます。
そりゃそうだ、という気もしています。アルコールの作用そのものでストレスが解消・緩和されるわけもなく、大抵は言葉の形でそのストレスは外へ出されるわけです。
言葉に乗っかっているエネルギーは保存されたまま、どこかの誰かに何らかの情動を起こすのでしょう。そこへ到って初めて、言葉を発した側のストレスは少し減少する、と。そんな構造なのだろうと思っています。
結局、構造的に人に負担をお願いする作業なのです。いきおい、迷惑をかけてしまうおそれも高い。
私の場合、ストレスを抱えた状態でお酒を飲むと、不合理と思われる発言に対する耐性が低くなってしまい、迷惑をかける事があります。
まあ、それでも私は「人間は必ずしも合理的な存在ではない。」とばかりに、合理的存在たらんとする努力を簡単に放棄してしまう事、それに同調する気にはなれません。
それは、楽な道を選んでいるだけの事。そう思えます。
普段からそういった批判的な気持ちを持っていることも事実なのでしょう。
「理性で感情を抑えなければ」という意識を持つ事、これを軽んじる風潮を感じて、それに抵抗しているのかもしれません。
私にはこれを軽んじる事は人間である事の放棄につながると思えます。
欲求や感情に従って生きることなど、他の動物たちの方がもっと得意です。わざわざ人間が分担する必要はありません。
この星の調和的発展のため、他種の動物には出来得ないであろうことを探る、そういう視点で考えれば人間として生れてきたからには負っていくべき使命は割と見易くなるとも思っています。
そのひとつは、確実に「動物である事の可及的抑制」だと思っています。ものすごく大変な挑戦ですが(笑)。
さ、勉強だ。
それでは、また!