必要な助けを得たのだと思います。
今日、不思議な気持ちの流れに従って、25年来お世話になっていたにも関わらず、改装工事以来足が遠のいていたお店を訪ねてみました。
既に、かなりマクロビな人、となっている私としては、主たる業務形態が「とんかつ」である当該店舗に伺っても、ほとんど経済的に貢献は出来かねるわけですが、そこはそれ、もっと大切な何かを感じたというわけです。
そして、冷奴やお新香を頂きながら、通常であれば適量とされる量を超えてビールをいただいていた、そのときに、必要な出会いは設定されているのでした。
私は、合格後にやはり官僚機構に浸かりながら学ぶことが必須であるようです。
そして、その後です。私の本当の出番は。
結論として、まだ私は私の人生の入口にすら立ってはいないということなのです。
非常にやりがいを感じます。
そして、なんとか自分が生かされている意味を感ずることができます。
肝心な事は、やはり、そういった助けを得るためには、ある種非常識な行為をとることが必須の前提として求められるらしい、ということです。
あなたが底の底と感ずるのであれば、それは極めて喜ばしい事なのです。
あなたが耐えてきた全ての事は、何が何でも報われるのです。
一切の例外なく、絶対の法則の下に。
上等ではありませんか?
上等なのです。なぜなら、他ならぬあなたが、あなたのために仕組んだものですから。
細部に至るまで、あなた向きに巧妙な細工が施されているというわけです。
何だか少し安心できませんか?
だって、他ならぬあなたが、あなたを最終的に害する設定をするわけがないじゃないですか!
だから、何があっても、根拠レスに「それでも私は大丈夫!」と、思っておけば足りるのです。
それが良いと思いませんか?
私は、それを全面的に採用します。(15年前からですけど)
それでは、また!