さて、前回、前々回と、基本書をご紹介してきたが、今回は、刑法の基本書をご紹介する。
その前に、刑法においては、基本的な考え方についての大きな対立がある。
端的に言ってしまえば、「結果無価値論」と「行為無価値論」である。
結果無価値とは、極端に言えば、犯罪の罪責をその結果に求めることを言う。
要するに、結果が発生しなけば犯罪としての罪責を行為者に問いえないとする立場である。
それに対し、行為無価値とは、犯罪の罪責をその行為に求めることを言う。
要するに、結果が発生しなくとも、行為自体が社会的に無価値(言い換えれば、マイナスであるということ)であれば、罪責を行為者に問いうる、という立場である。
ここでいう「無価値」とは、社会的に価値が無い、要するに社会的に害悪である、ということとされている。
この刑法学説の根底に流れる大きな学説の対立によって、種々の場面で両者の見解がぶつかることがある。
共同正犯における行為共同説、犯罪共同説なども、そのメルクマールである。
事実の錯誤、違法性の錯誤などでも問題となる。
このように、刑法学習にあたり、刑法の根底の学説が大きく2分されており、それゆえ、その犯罪行為の処理方法や結果なども変わってくるため、初学者にとっては、いったいどちらの学説を取ったらいいのか、非常に悩まれる方が多いと思われる。
その指標としては、一般的に、
①実務においては行為無価値を採用しており、
②現在の学説の有力説、多数説は結果無価値を採用している
と言われている。
ちなみに今回ご紹介する大谷實先生は、行為無価値を採用して『刑法講義総論』をお書きになられている。
以上の前提を踏まえ、特徴等を説明していく。
私は大谷實『刑法講義総論』を使用している。
まず、形式・体裁 について
1、横書きである。
これは以前から述べているので、細かく書かないが、刑法に関しては特に、古くからの基本的理論が現在でも採られていることが多々ある。
そのような、古い基本書、というと失礼にあたるかもしれないが、昔からの通説化した学説についての基本書を読むときなどは、たまに縦書きのがあったりだとか、旧仮名遣いのままであったりということがある。
本書では、新仮名遣い、横書きという体裁を採っている。
2、記述の順序に特徴がある。
他の意本書や体系書においては、不作為犯を論じた後に因果関係論に移っているが、本書においては、因果関係は実行行為を前提にするものであるから、まず実行行為を論じ、次に、それと結果との結びつきを明らかにしている。(大谷實『刑法講義総論』P201参照)
後述することになろうが、大谷先生は因果関係において、折衷的相当因果関係説を採用されている。
それに対し、現在の判例は、「危険の現実化説」を採用していると言われている。
危険の現実化説とは、行為自体が危険なものであった場合で、因果経過の経験的通常性が欠ける場合でも、その行為の危険性の結果への現実化が認められる限り、因果関係が肯定される、という学説である。(大谷P221参照)
この「危険の現実化説」は結果から行為の危険性等を判定するものとして、大谷先生が重視する、構成要件の定型性を無視するものとして、大谷先生はこの危険の現実化説を批判している。
それゆえ、大谷先生は、前述のとおり、因果関係は実行行為を前提にするものであるとして、実行行為の後に因果関係論を述べている。
ちなみに、この折衷的相当因果関係説は、他学説からものすごく批判を受けている。相当因果関係説の危機とまで言われているほどだが、それに対して、大谷先生は判例を折衷的因果関係説に沿って再び検討し、相当因果関係説は危機に陥っていないということを述べておられる。
続いて、内容 について
1、基本的に結果無価値、行為無価値を問わず、あらゆる学説が網羅されている。
体系書などでは、その著者の学説に沿って書かれていることが多いが、本書においては、一応、他学説や判例についても、どのような内容のものかについて記述がある。
これは行為無価値を勉強しながら、結果無価値との差異を勉強することもできるし、大変助かる。
2、医療・精神系統についての記述が多い。
大谷先生は、本書以外にも多くの著書を執筆されているが、医療系統についての著書も多く執筆されている。
それゆえ、心神喪失、心神耗弱、あるいは安楽死、尊厳死といった、医療や、人間の精神面に関する刑法の解釈により力を入れられている。
3、判例についても比較的多く参照されている。
時々誤植などもあるが、基本書の中では、判例を多く参照していると思われる。
網掛け部分での判例の紹介においては、本筋の流れとリンクした判例を適宜紹介している。
以上、大谷先生の『刑法講義総論』についてご紹介してきたが、本書を扱うにつき、注意点がいくつかある。
大谷先生は前述のとおり、行為無価値論を採用しているが、時折、結果無価値的な結論でまとめることがある。
その点、ブレが見られるので、初学者の方は「んん??」となることがあろう。
そのような場合、今述べたように、大谷先生は結果無価値的な結論でまとめることもあるんだな、ということを頭に浮かべておいていただきたい。
さらに、よく言われることだが、ことあるごとに『社会的相当性』という言葉を持ち出して、判断している。
例えば、正当防衛の部分で論じられる「自招侵害」につき、判例は、自招侵害に付、正当防衛は成立しうるとしているが、大谷先生は、これに対し、防衛行為が社会的相当性を欠く場合には正当防衛を認めるべきではない、としている。
このように、社会的相当性という言葉を用いて、結論に持っていくスタイルが多いのだが、いったい社会的相当性とは何なのだろうか、ということがよく言われる。
大谷先生自身、刑法における明確性の原則を重視しておいて、『社会的相当性』のようなあいまいな言葉で片づけるのは如何なるものなのか、と批判を受けることも多々ある。
しかし、この点につき、大谷先生は本書前半部分でキチンと述べておられるので、納得できるだろう。
今回取り上げた基本書以外にも刑法は多くの良書がある。
その一例を取り上げさせていただく。
山口厚『刑法総論』
西田典之『刑法総論』
ちなみに後者について、今回の大谷先生の基本書とどちらにするかで迷った。
西田先生の記述は非常に明快で分かりやすく、初学者向けといえよう。
つい先日、西田先生がまだ若くして心不全にてご逝去された。そのことを聞いた当時、非常に驚いたことを記憶している。心から哀悼の意を表したい。
学者は、長生きして、自らの理論をより多くの人の採用してもらって、広めてもらい、通説化していくことこそ、学者冥利に尽きるのであって、西田先生はこの道の半ばで逝去されたことで、さぞかし無念だったろう、と私のゼミ担当教員が仰っていた。
しかし、私は、西田先生の遺された『刑法総論』は、今後ご本人による改訂は為されることはないものの、多くの刑法学習者の基礎としてその本の理論が根底に存在しているのであるから、西田先生が無念だったとは思わない。
他にも、判例集等刑法学習上必要なものがあるが、前田雅英等著の刑法判例250選や、有斐閣から出版されている判例百選など、メジャーどころが良いと思われる。