彼は、生まれながらに手と足がない。

 

 口はしゃべることを放棄し続けたせいで見事に退化し、縫い合わせたように開くことはない。基本的には院内で点滴により命をつないでいる。耳も実はほとんど耳のかたちをしていない。がらんとした空洞があるだけで、肝心な造形がないのだ。吸い寄せられそうなその空洞は私の何を聞いているのだろう。彼のその空洞を見ていると、何も聞こえてはいないだろうに、私の心はざわざわと揺れてしまう。逆に何もかも聞かれているように思えてならないのだ。

 

 しかしながら彼の頭は尋常ではないほど、その小さな胴体には不釣合いなほど大きく膨らんでいる。胴体はおもちゃのビルなのに、その頭はバーゲンセールを開始したリアルなバルーンみたいに膨らんでいる。点滴針を頭にさせば、一瞬で割れてしまうのではないかと思うほどだ。


 そして、その目。言うまでもないが、彼には毛というものがない。だから、睫もない。白と黒と。毛のないつるりとした肌に宝石がめり込んでいるような異様さだ。


 最初に彼をみつけた看護師は、その容姿に悲鳴をあげた。

 夜間勤務の若い看護師であったからなおのことだ。その日に入院していた患者が驚いて全員目を覚ましてしまうほど、その悲鳴は院内をかけめぐり、当時当直勤務をしていた私の耳にもこだました。

 

 どれどれ、何が起こった。強盗か、強姦か強情っ張りかとかけつけてみると、小さな乳母車に大きな顔がのっていた。正確には、胴体もあったわけだが、その時は薄暗いせいもあり生首かと思ったのだ。

 

 比較的症状の軽い男性患者が、恐る恐る乳母車に近づいていくが腰が引けて中々前へ進まない。看護師も、起きて来た患者たちも、当直警備のおじさんもスローモーションの映像のようになっていた。私だけが、思わず寝ぼけていたのかひとりだけ映像を飛び出し、乳母車に飛びついた。ラグビーでトライを決めたみたいだった。



 

 「俺を頼む。これは進化の過程だ」




 これが彼の最後の言葉である。

 進化とは、放棄することからはじまるようだ。

 私でなければ、それが「進化」だとは気づくまい。彼はあらゆるエネルギー消費を抑えて生活しており、光合成のように「脳」にエネルギーを溜め込み、その力を今まさに放出しようとている。





彼は、出口を探しているのだ。





「脳」が、独立する。